190.荀子 現代語訳 大略二十七 二十八〜三十四

二十八
 見た目や飾りとその用途や本質は互いに内外表裏となっている。礼の規範の中でしっかりと施策すること、これを慮ると言う。礼というものは、本と末がお互いに善で和して、最初から最後までお互いに応じ合うものだ。また、礼とは、財物を実用性のあるものにして、貴賎を美しい飾りとして、多いものと少ないものの違いをはっきりとさせるものだ。

二十九
 家臣のうちでも下と言われる人は、君主に仕えるのに財貨を用いる。家臣のうちで中と言われる人は、君主に仕えるのに自身の身を用いる。家臣のうちで上と言われる人は、君主に仕えるのに人を用いる。

三十
 易の小畜の卦には、「過ちがあっても、復(かえ)って道に従うのならばどうして咎があろうか」とある。春秋に、穆公を賢人だと記述する部分があるが、しっかりと過ちを悔いることができたからである。(秦の穆公は百里渓という家臣を処罰したが、後にそのことを悔いた)

三十一
 士に人を妬む友人が居ると、賢い人はその人と親交を結ばなくなる。君主に人を妬む家臣が居ると、賢い人がそこに来ることはなくなる。公けのことを覆う人を昧と言って、隠れてこそこそやろうとする人のことを妬と言う。妬昧をしてばかりいる人のことを、人の交際をややこしくする人と言う。妬昧の人や人の交際をややこしくする人は、国の災害である。

三十二
 口から出る言葉も的を得ていて、仕事をすればしっかりと行う人は、国の宝と言うべき人である。口を開いても達者とは言えないが、仕事をすればしっかりと行う人は、国の器と言うべき人である。口から出る言葉は的を得ているが、仕事をさせてもいまいち成果が上がらない人は、国の用というべき人である。口では善いことを言うが、実際では悪いことばかりしているならば、それは国の妖害と言うべき人である。国を治める人は、宝を敬い、器を愛し、用に任せて、妖害は取り除かなければならない。

三十三
 富ますことができれば民衆の情を養うことができ、教えれば民衆の性を道理に従うものにすることもできる。だから、家ごとに五畝の宅地と百畝の農地ということにして、農業に務めさせ、そうして、農繁期には人を駆り出さないようにすれば、それが民衆を富ますためのやり方である。学校を作って六つの礼を修めさせ、君臣、親子の道などの人の七つの道を明らかにするのは、民衆を導くためのことである。詩経・小雅にも「飲ませて 食わせて 教育する」とある。これが達成されて王の仕事も備わったと言うことができる。

三十四
 武王は殷に入るとすぐに、殷の賢臣であった南容の居た村を表彰し、収監されていた箕子を開放して、処刑された比干の墓の前で哭泣したのであるが、そうして天下は善に向かうこととなった。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■生きた学問は、生きた学問として、なるべく自分も実践するようにしなければならない。自分のことだと思って本を読むことはとても大切なことだと思う。