188.荀子 現代語訳 大略第二十七 十六〜二十一

十六
 親しい者を親しいとして、先祖を先祖として、国への労役を労役として、自分のための労働を労働とするのは、仁をこれ以上削げないところまで殺いだものである。貴人を貴び、尊者を尊び、賢者を賢いと認め、老人を老いているとして敬い、長者を仕えるべき人として仕えるのは、義の倫(みちすじ)である。そのことを行って、そのけじめを得るならば、それは礼の秩序である。仁は愛、だから親しむ。義は理(ことわり)、だから行う。礼はけじめ、だからものごとが成就する。

 仁には里があり、義には門がある。仁がその里にはないのに、そこに居るのならば、それは仁とは言えない。義がその門にないのに、その門を拠り所とするならば、義を成すことはできない。恩返しをするのにもそこに一定不変の理(ことわり)がなかったら、仁を成すことはできない。理に基づいてやり遂げることができても、けじめが無かったら、義を成すことはできない。けじめについて細かくしっかりと分かってたとしても、和がなければ、礼を成すことはできない。しかし、和していてもそれが発露されなかったら、楽しみを成さない。だから、仁義礼楽もその局地では一致すると言うのだ。

 君子は、仁に居て義を用いてそうしてやっと仁なのである。義を行うのに礼を用いてそうしてやっと義なのである。礼を制定するのも根本に立ち返って細かいことまで成すことができてそうしてやっと仁なのである。この三つが全て通じて、そうしてやっと道と言うことができる。

十七
 死者が出た時の贈り物について。貨財のことを賻と言って、馬車のことをボウと言って、飾り物を贈と言って、宝石や貝はカンと言う。賻ボウは生きている者を助けるためのものであり、贈カンは死者に送るものである。死を送るのに棺桶を使わず、生きている物が弔いをするのに、その悲哀が相応のものでないのなら、それは礼ではない。だから、お祝いに行くのは五十里であるが、お弔いに行くのは百里向こうまでも行って贈ボウを送るのが、立派な礼である。

十八
 礼とは政治を目立たない形で引っ張っているものである。政治をするのに礼を用いなければ、政治を行うことはできない。

十九
 天子が即位する時の儀式。

 上大臣が進み出て「どういたしましょうか、この憂いの長いこと。しっかりと患いを除くことができれば福となり、しっかりと患いを除くことができなければ賊となってしまいます」と言って、政策を一つ進言する。

 次に、中大臣が進み出て「天に配されて下土を所有する者は、事に先んじるようにして何事も慮り、患いに先んじて患いを慮らなければならないものです。事に先んじて何事も慮ることを接すると言って、接することができれば事は優れた成果を得ることができるでしょう。また、患いに先んじて患いを慮ることを予と言って、予であるのなら禍が生じることはありません。事業をしなければならなくなってからそれを慮るならばこれを後と言って、後であると事が行われることはありません。患いがあってからそれを慮ることを困と言って、困であると禍を未然に防ぐことができません」と言って、政策を二つ進言する。

 そして、下大臣が進み出て「ものごとを大事に敬う気持ちと戒めの気持ちを忘れないようにして、怠ることのないようにしてください。喜びがお堂の上にあったとしても、弔い事は常に身近であります。禍と福とは隣にあるもので、その門がどこにあるかを知ることはできません。務めてください。務めてください」と言って、政策を三つ進言する。

二十
 禹は二人以上が共同して耕作をしているのは見たら、馬車の上から敬意を示すしぐさを行ったし、十件ほどの部落を通過するときは、必ず一度は馬車から降りて敬意を示した。

二十一
 戦争や狩りのときばかり朝早く、政朝が遅いのならば、それは礼ではない。民衆を治めるのに礼を用いないのならば、動けば陥ってしまうことになる。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■十九について、少しだけ解説しよう。上中下の大臣の進言する政策の数が、ほとんどの人が考える数と逆で、何故か下に行くほど多くなっている。つまり、普通だと、偉い人の方が多く進言できるのではないか、と考えると思う。しかし、これは儒学の根本思想である「本立ちて道生ず」という思想に基づいたものである。賢い人、位が高い人ほど、要点を抑えているから、進言することの内容自体は少ないのである。そして、位が低い人ほど、瑣末な細かいことを処理するわけであるから、自然と進言しなければならないことも数が多くなる。