184.荀子 現代語訳 賦第二十六 三・四章

三章

 ここに物があります。
 動かずば あまねく居りて 定まりて 低きを極めて しかも離れず
 動くとき 高きを極めて あな巨大なり
 まろきは 円を描き 方なるもの 枡を描きて
 かの大なること 天地にも並び その徳は 堯・禹より厚し
 精密緻密 毛よりも細やか 充満完満 大宇に盈(み)ちる
 忽として消え 極めて遠く ひらりと戻りて 相い帰る
 あおぎあおぎて 天下の者は皆 これを取らんと 手を延ばす
 その徳は厚く 不捨にして 五色備わり 文を成す
 行き来はあれども 見えることなく 大神にも通じ
 出入りし易きこと 甚だ速やかに されどその門を知る者はなし
 天下これ失えば 則ち滅んで 天下これを得れば 則ち存す
 弟子である この私めは 不敏の身 されど言葉を連ねたり
 君子が言葉を 設けるならば これを推(はか)りて 何と言うや

 答えて言った。
 これはかの 大ならざるも 塞がる者か
 充満完満 あますところなく 隙間に入りても 迫らぬ者か
 遠きに行くこと 速やかなるも 秘密のお話 託すことできず
 行き来があれども 見えることなく されど通じて 頑なに為さず
 暴に遭あいて 殺傷せども これを疑い 忌まざる者か
 功績治績 天下に広し されど私徳と 為さざる者か
 地に託して 空に遊び 風を友として 雨を子とし 冬は寒を為し 夏は暑を為す
 精密緻密 広大神妙 雲にするのが いいではないか そこに帰するが よいではないか
 
 ーーー 雲 ーーー

四章

 ここに物があります。
 赤裸々気ままか その形 しばしば化して 神の如く
 功績天下に 及ぼして それは天下の 文(あや)となり
 礼楽成りて 貴賎は分かたれ 
 老を養い 幼が育つも これがなければ 始まらぬ
 美しからざる名 相い隣なる暴
 功挙がりて 身捨てられ 事成りて 家破られ
 寿老を捨てて 後世に収められ 人を利しては 飛鳥に損なわる
 私め臣下は 愚かにて これが一体何なのか とんと検討つきませぬ
 選びて取りて占いて これを五帝に 伺い給う

 帝は占いをして言った。
 これはかの 身は柔らかくして 顔は馬なる者
 しばしば化して 寿ならざる者
 若く強壮 なるときは善く 老いて屈して 稚拙となる者
 父母はあるも 雌雄なき者
 冬は伏して 夏に育ち 桑を食いて 糸を吐き 前には乱れて 後には治まる
 夏に生まれて 暑さを嫌い 湿気を好んで 雨を嫌う
 さなぎを母とし 蛾を父として 三日三晩で事は終わる
 これは蚕の条理と言う 蚕と言わずして何と言う

 ーーー 蚕 ーーー


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■前にも触れたように、賦とは税や国に献上する労役のことである。三章で述べられているのは、儒者のことであろう。儒という字は、にんべんと需という字からなる。需は、易経にあるように、雲が地に雨を降らすべく、天上で佇む象である。そして、需とは「時が来るのを気長に待つ」という意味である。だから、儒者とは、地に雨を降らすべく、その時を待つ者のことなのである。ここにある荀子の記述とイメージがピッタリ重なると思う。▼四章で述べられている「蚕」とは何であろうか。荀子の時代は、若者が兵役や労役に駆り出されて、次から次へと当たり前のように命を落としていた。荀子が蚕と時代を見比べて何を感じていたのか、荀子が考えていたことを想像することも、さほど難しいことではない。この中でこれを五帝に聞き、しかも占いまでするのは、それほど神妙なことをしないと、誰も気が付かないような時代であったからだと思う。蚕たちの犠牲を知る人はあまりにも少ない。ある意味で、とても痛烈な皮肉と思う。