182.荀子 現代語訳 成相第二十五 五章

五章

 お願いだから、ものごとにしっかりと向き合ってそれを受け入れ、治の方向性についての言葉を言って欲しい。

 君主たるの道筋は五つあり、これは簡約で簡明なものである。君主が謹慎してこれを守れば、下民衆も皆な平らかで正しくなり、すなわち国も盛んとなる。

 臣下のお役目には、ふらふらとつまみ食いをするようなことがないようにして、本事である農業を務めて費用を節約すれば財貨は極まりなく積み重ねられ、土木事業において、お上が賄賂などの見返りに仕事を出すようなことがなくなれば、民衆の力を一つにすることもできる。

 各自の役目が全うされるようにし、衣食は満ち足りるようにして、厚遇するのかどうかには秩序と差があるようにして爵祿を明らかにし、利益が出る場合は、自分勝手にそれを処理させないで、必ず上に報告してから処理させるようにすれば、誰が私欲を肥やすことができるだろうか。

 君主の法を明らかにして、議論の道筋には常があり、誰でも分かる基準が既に設けてあって民衆は自分が進むべき方向性を知っており、人を抜擢したり左遷したりすることにも、しっかりとした決まりごとがあって、自分勝手の思いつきでは貴賎をどうとすることもできないならば、誰が王の位を私することができるだろうか。君主の法が守られ、禁止事項が行われることなく、その教えが常に喜ばれるようになれば、名分が移るようなこともなくなる。これを修めれば栄えて、これを離れれば辱めを受ける。誰にとってもこれ以上の模範はない。

 刑罰はその罪に釣り合いが取れていてその限度が守られており、家臣が刑罰を用いることができないようして特定の家に権力が移らないようにして、罪と罰の関係にはしっかりとした決まり事があって自分勝手にはこれを軽くしたり重くしたりすることのできないようにすれば、威も分かたれることとなる。

 お願いだから、基本的なことを心の中でうまく管理して欲しい、そうすれば心が明らかとなって心配事もなくなるであろう。

 君主が議論を好めば、臣下は必ずものごとを熟考するようになり、臣下の言葉を聴くことについての五つやり方が修められれば、臣下はものごとの道筋を誤ることもなく、君主の権勢も保たれることとなる。

 聴くことの道で要となるのは、どうしてそのようなことを言うのか、という心情を明らかにすることにある。細やかなことにまで慎重になって刑罰や報奨を施すようにすれば、その行いが露わとなっている者については刑罰や報奨を受けることになり、さらに、いまだその行いが隠れている者についてもその行いが露わとなって、民衆も誠の状態に帰ることができる。

 言う者の言葉にけじめと度があるようにするには、その実際について詳察することだ。本当の事と嘘やハッタリが見分けられて、刑罰や報奨が必ず施されるようにすれば、下は上を欺くことなく、皆が実情に基づいて言葉を発するようになり、全てが明らかとなること日の光のようである。

 上は全てについて見通すことができるようになり、隠れて表に出にくいことや、遠くで分かりにくいことも見通すことができ、法にかなっているかそうでないかを観察すれば視ていないとこさえ見えるようになる。耳目が明らかとなれば役人は法令をぞんざいに扱うこともなくなり、自分勝手の思いつきをすることもなくなる。

 君主の教えが表に出て、行いに決まりがあるのなら、役人は謹慎して決まりを実行するようになり滞りがなくなり、下は私事に関する陳情をしなくなって、各自が各自の能力に見合った仕事を得て、一見すると巧拙の差がないようにさえ見えるようになる。

 臣下は謹慎して従い、君主は変化を制して、公平にものごとを観察してしっかりと思いを致すようにすれば、社会で守られるべきことも守られるようになって乱れることもなく、このようにして天下を治めれば、後世もこれを手本として、それが決まり事の根本となるであろう。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■だいぶ言葉を変えて翻訳した。後半に関しては、岩波版の翻訳とはかなり違う展開とした。内容も難しく、荀子得意の掛詞的な文章構成であり、原文は読む人によって色々な捉え方ができるようになっている。つまり、言葉が曖昧で、ある程度思想を理解していないと意味が分からないと思われる。