(★注意★オカルト)私は阿弥陀仏を見た! 2.仏は何次元にいるの?

これは何の証拠とか典拠とかもない、ほとんど妄想や推測といった領域の話ではあるのだけど、仏とか神とかが存在するかどうかとかを検証しようとすると、この次元の概念を持ち出さないとならない。

そのために、まず自分の住んでいる次元を検証してみる。

現在われわれの住んでいる次元は、三次元時空ということになっている。つまり、空間的三次元(線・平面・立体)と、これに時間という概念を併せたところ。まあ、ここまでは普通に常識の話である。

だがっ!

私は、これだけではまだ自分達の住んでいる次元をしっかりと把握しているとは思っていない。なぜなら、ここには、目に見えない魂があるからだ。

時間も目に見えずに、魂も目に見えないなら、この魂という概念も当然のように次元の一つとして数えられる必要があると思うのだ。

これを岡田茂吉と言う人は、「想念」と呼んだ。その呼び方が正しいのかどうかはわからないけど、とにかく、意識とか思いとか、そういった目に見えないけど間違いなく空間や時間とは別に存在しているものが、ここには「間違いなくある」。

物理学の分野でも「ダークマター」と呼ばれているものがある。この「ダークマター」は宇宙の均衡を万有引力の法則だけでは説明できないために、「見えないし、計測できないけど」それがないと理論が成り立たないから、物理学者たちが必死こいて思いついたものだ。

とにかく、現代の科学では「発見されていない」けれども、「間違いなくある」ものが、まだまだいっぱいあってもおかしくない。だから、そのうちの一つにこの「想念」が数えられたとしても、なんもおかしいことではない。要は認めるか、認めないか、ただそれだけのことだろう。

それで、次元というものにも二つの考え方がある。それは、「重なっている別次元性」と、これとは別に「重なっていない別次元性」のことだ。

時間と空間と想念が重なっている世界がこのわれわれの住んでいる世界なのだけど、時間と空間は、別次元性のものである。なぜかというに、時間と空間が干渉することは無い。想念と空間だとわかりやすい、お化けとかは物体を通り抜けたりする。これを干渉しない。お互いに邪魔をし合わない。と言う。

今説明したのが「重なっている別次元性」のことである。じゃあ、「重なっていない別次元性」とはどんなものか。

「重なっていない別次元性」をオカルティーな言葉で表現すると、「パラレルワールド」ということになる。例えば、パラレルワールドAとパラレルワールドBがあって、どちらにも空間が存在した場合、この空間同志が重なろうとするとお互いは干渉してしまう可能性がある。こんな感じで、重ならない別次元性という世界もあり得る。ということになる。

この二つの別次元性を考えつつ、仏がどこに存在しているのか考えると、仏の居場所が限りなく正しく検証できる可能性が高まる。ということになる。

それで、仏がもし存在するとなると、恐らく「想念」という形であろうことは察しやすい。ただし、この「想念」が存在する所も、われわれが住んでいる世界と重なっている「想念」なのか、全く別のパラレルワールドに存在している「想念」なのかという違いが出てくるわけである。さらに言うなれば、パラレルワールドは無限に想定できるわけでもある。だから、このパラレルワールドの考え方を用いると、全く同じはずのものが違う形で存在しても何の矛盾も起きないことになる。