(★注意★オカルト)私は阿弥陀仏を見た! 3.で、仏はどこにいるの?

前回で、パラレルワールドについては、如何なく説明されたと思う。

しか〜し、それだけではないのだッッッッッ!

「重なっている別次元性」の方にも、もっと可能性がある。

どういうことかと言うと、この前、この三次元世界に重なっている「想念」と示した次元性が、複数存在している場合もあるからだ。

例えばこんな感じ。

スーパー霊能力村に住んでいたあるオッサンは、想念物質Aでできたシャツと、想念物質Bでできたズボンと、想念物質Cでできたパンツを身につけて、スーパー霊能力村から旅に出た。

ある「霊能力村」を通ったとき、このオッサンは別に人から注目されなかった。まあ、普通のダサメンなオッサンという設定なので。

次に、ある「ちょっと霊能力村」を通ったとき、このオッサンは、みんなから注目された。来る人、すれ違う人、あっちを通る人、皆が、オッサンを注目する。オッサンはちょっとうれしくなってしまっていた。「♪もしかしてだけど〜 ♪もしかしてだけど〜 ♪おれってこのへんの地域じゃ超イケメンじゃないの〜?」とか思ってしまっていた。

そんな妄想タイムもつかの間、オッサンが「普通の村」に来た時、若い女性が「キャー」と言って走って行ったのを皮切りに、オッサンはみんなに取り押さえられてしまった。「♪なんでだろう〜? ♪なんでだろう〜 ♪ななななんでだろう〜」オッサンは思った。

しかし、要はこういうことだった。「霊能力村」に住んでいた人は、想念物質C、つまりパンツが見えなかっただけなのだ。だから、オッサンはいつもと同じ扱いを受けた。

「ちょっと霊能力村」に住んでいる人は、想念物質AとBは見えない。だから、このオッサンがパンツ一丁で歩いているように見えたのだ。

そして、まあ、言うまでもないが、「普通の村」だと、オッサンはすっぽんぽんの変質者、まあ、取り押さえられます。

こんな感じで、この三次元世界でも、別の色んなもんが見える霊能者がいても、また、個人の見た仏が違う格好だったとしても、全くおかしくない。そもそも「想念」自体が普通に知覚できない領域にあるのだから、こういったことを想定しても全く不思議ではないのだ。

こうやって考えてくると、仏はどんな形で、どんなところに存在しても全くおかしくないことになる。

なので、「仏がどういったものか」という範囲を最初に決めなければ、仏がどこに存在しているか、決めることもできない。この決められた範囲のことを荘子は「成見」と言っている。だから、この範囲を決定することで、やっとこさ仏がどこにいるのか決定することができる。

それで、最初に述べたように、「仏の定義した本物の仏」は、「存在していないと同時にどこにでも無限に存在している」ということになる。

次に仏典に書かれている例えば「阿弥陀仏」は、西方十万億仏土の極楽国土に、無量の光を放ちながら、無量の寿を持して存在しているわけである。

しかし、世の中の人の大半は、こんなことを知らずに阿弥陀仏にお参りをしているわけで、さらにそこに「阿弥陀仏への願い」を込めるわけである。そうして、この「阿弥陀仏への願い」という想念は、一個の「想念としての阿弥陀仏の実像」を作りだすということになる。これは、恐らく、この三次元時空に重なった空間に存在しているか、もしくは、「多くの人が阿弥陀仏のいると思っているところ」に存在してると思われる。この辺は、霊能力とかないので確定できないのだけど。