大便の便と不便の便

この「大便の便と不便の便」という言葉は、荀子の議兵編にある言葉である。

中国初の帝国を作り上げた始皇帝の名宰相である李斯と荀子の対話の中で、荀子が言う言葉である。もしかしたら、地位を得て絶頂のときの李斯が、師である荀子のところを訪れて、こんな話を事実していたのかもしれないし、李斯が荀子の元を離れる前に、こんな会話をしていたのかもしれない。若しくは、後世の作り話かもしれない。

ちなみに、敢えて明らかにする必要はないだろうが、人間の排泄物の大便とは全く関係ない。

秦、始皇帝と言えば、血も涙もない法治主義による苛政の代表である。戦国時代を収拾して統一国家を生み出したのだから、事実として、他の国よりも軍事力、国力ともに強かった。
しかし、その政治がどんなものだったかというと、国民を窮屈に縛り付け監視し、戦で功績をあげるより他に出世する手段がないようにしていたらしい。
つまり、今で例えると、他の会社に就職することなどできないとさんざん社員を脅した上、さらに人をこき使って短期間で数字を上げる他、出世する手段がないような感じである。ブラック企業そっくりだ。

それでも強かったのは、他の国もおかしかったこともあるが、秦の有していた広大な資源も関係していただろう。というのも、史記によると、漢朝の初頭、シナの3分の2の資源と富が、当時の秦の領土にあったと言うのだ。
つまり、当時未開拓であった現在の中国の西側一体を秦が開発し、自国の領土としていたのである。

こういった秦の優勢を見て、李斯が荀子に、「事実としてこういった結果があるのだから、先生の言っている仁義によるやり方は、秦のやり方に劣るのではないか?」と尋ねたのに対して、荀子が、「お前が言っているのは、不便の便であり、仁義というのは、大便の便なのだ」と答える。

かなり前置きが長くなってしまったが、私が言いたかったことは、現代の社会では、「不便の便(便利なようであるけれど、それは実は不便なことでしかないこと)」が多すぎるのではないか。

例えば、東京都在住のAさんは、自動車を作るのが夢であった。だから、自動車会社に就職した。それで夢がかなったと思ったAさんには、実はひどい現実が待っていた。千葉にある通勤片道20分の工場に勤めさせてもらえると思っていたが、なんと、新幹線で静岡まで通勤しろと言うのだ。Aさんには年老いた両親が居て、単身で引っ越すことはできない。会社にどれだけ掛け合っても、「交通費は出すのだし、2時間の通勤なんて当たり前だ」という返答しか返ってこない。あえなく、Aさんはこの会社を退職することにした。
だが、話はこれだけでは終わらない。実は、別の自動車会社に就職したBさんは、静岡に住んでいて、東京まで通う羽目になっていたのである。この人もAさんと同じような経緯をたどって、結局退職することにした。
しかも、あろうことか、この2人は同じ程度の能力の持ち主で、職場が入れ替わりで変わっていても、何の問題もなく、それぞれの企業に貢献できたのである。

つまり、新幹線という交通手段は、便利なようであるけれど、この2人にとってはこの上なく不便なものであったのだ。そこに大便の便がなかったことが最も不幸なことであったのだ。

不便の便は、この他にも多く世の中に存在している。

食器を洗う洗剤や、清潔病もその一つであろうし、自動車社会もその代表である。
洗剤が安価で手に入るから、食器は常に洗剤を使って洗うことになる。恐らく、昭和初期くらいまでは、洗剤などなかったであろうから、食器は洗剤なしで洗われていた。だが、当時を生きていた人は、日本を長寿大国に押し上げた。そうであるのに、この不便の便を便利なことと多くの人が勘違いして、垂れ流された洗剤は赤潮を誘発して、下水処理施設をフル稼働させ、有限の資源である石油を消費し続けるもととなる。
また、昭和初期には、風呂は毎日入らなかったそうである。だが、当時を生きていた人は、日本を長寿大国に押し上げた。そうであるのに、この不便の便を便利なこと勘違いして、一日でも風呂に入らない人を不潔と言い、清潔にこだわるあまりに子供の外遊びを禁止し、かえって、手足口病とかいった免疫が弱いことによる奇病を流行らせた。
また、自動車があるから、無理な通勤を強いられている人など、数えたらきりがないであろう。そうであるのに、この不便の便を便利なことと多くの人が勘違いして、朝は通勤ラッシュに巻き込まれて、渋滞で無駄な時間を過ごし、挙句の果てには事故にあって、それでも「今は車があるから遠くの就職先も見つけれる」と言う。

便利な道具も、そこに大便の便がなければ、たちまちにして不便の便となってしまう。よく考えなければならない。