特定秘密保護法案について

この法案がどんなもんなのか、詳しくは知らない。

ネットではわりと反対の声が多く上がっているように感じるのだが、政治に関心のない一般的な人はどのように感じているのだろうか?

この前、テレビでの報道を見たけれど、このことについては、テレビの報道機関も”珍しく”中立的な報道をしているような印象を受けた。
取り敢えず、世論調査でも大々的に報道してほしい。

さて、この法案、一番まずいのはその名前である。

「特定秘密」しかも「保護」……怪しすぎます。

しかし、この秘密という言葉、信頼度によっては、逆に信頼を増すものとなる。

例えば、両親が本当は養子である子供に、そういったことが理解できる年頃になるまでは、そのことを「秘密」にしていた場合。
この子供もその両親を慕っていて、両親もよく子供を愛していて、この両者の関係が深かった時は、この「秘密にされていたこと」が信頼感を増す要因の一つともなり得る。
だが、逆に、両親からは子供への愛が感じられず、子供も両親が嫌いであった場合、こういった場合は、「秘密があるんだ」と打ち明けられようものなら、その秘密の内容を聞くまでもなく、その途端にこの両者の関係は破綻するだろう。

または友人関係において、犯罪の過去という「秘密」を持つがその後改心してとても良識のある人になった友人が居た場合。
自分もこの人を慕っていて、この人も自分を敬っていて、「私はあなたのために、あなたの過去のことは秘密にする」と言ったとき、この2人が信頼関係で結ばれている以上は、恐らく、口に出すまでもなく、自分はこの人の過去を秘密にしていたのだろうけど、それでも、その事実を口から再確認した時、この犯罪歴のある友人は安心するだろう。
しかし、逆に、自分はこの人を利用しているだけで、この人は仕方なく自分と付き合っていて、「私はあなたの過去のことを秘密にしてる」と言ったとき、この2人の関係は利害による関係でしかないのだから、この犯罪歴のある人はそのことで脅されるのかもしれないと思い、自分に襲いかかってくるかもしれない。

要は私が言いたいことは、「乱君ありて乱国なく、治人ありて治法なし」ということである。この人が国の主になれば必ず国が乱れるという乱君はいるのだが、誰が治めても乱れる乱国というものはなく、この人が居るとなんでもうまく治まるという治人はいるのだが、誰が使っても治まるという治法というものはない。

これら2つのファクター(秘密という言葉と信頼の関係、法律は使う人次第でしかないこと)を組み合わせて考えれば、特定秘密保護法案に、反対する人、賛成する人が、それぞれ国に対してどのような考えをもっているのか、だいたい分かるであろう。

そういった趨勢から考えても、殆どの人が、「またわけのわからんことしだしたわ」とか、「あいつらのやることはくだらんことばかりだ」と思っているのであろう。

だが、私は少し意見が違う。

その法律、使い方によっては、治法ともなり得る。と思う。もちろん治人が使えば、の話ではあるが。

恐らく、この法律ができた経緯で、最も影響の大きいできごとは、「尖閣ビデオ流出事件」だと思う。見方によっては、あれは義人のやったことで、とても良識のある人がやったことなのだ。となるかもしれないが、管理側からすれば、つまり、他国の政治関連の人から見れば、あれほど国家の威信が下がることはない。

どういったことかと言うと、ある家で、「私は子供を信頼しているから」という理由で、通帳と印鑑の場所を子どもと共有していた場合に、この子供が、通帳と印鑑を他所の家の人や知らない人に無断で貸し出していた場合。こういったときの、その家の人が思う感想と、その家以外の人が思う感想とは大きく違うであろう。

つまり、よその家からすれば、その親は、はっきり言って単なる間抜けでしかない。

だから、国家の威信を保つためにも、こういった法律を作り、対外的にアピールしなければ、日本という国家がなめられたまま、ということになるわけで、そういった意味では、この法律を可決するのも致し方ないのではないかと思う。

だが、最初にも書いたように、「国家と民に信頼関係がないこと」が一番まずいことであり、こうなってしまった以上は、こうするより仕方ないという意味である。もちろん、一番いいのは、国家と民衆に信頼関係があることである。これがあるのなら、むしろ、「特定秘密」が「保護」されることを、多くの民衆が心強く思うであろう。