境地

人間には防衛本能が備わっている。

正確に言えば、その防衛本能は生を愛する性情から生まれる。

性情についてさらに正確に言えば、性は生まれ備わったものであり、生きていることによってまわりの環境に和合するために自然とそうなっているもののことである。
そして、情はその性によって決定づけられる喜怒哀楽愛悪欲のことである。

だから、防衛本能というのは、生きることを肯定する性があることによって、その性が生きることを愛する情を生み、この生きることを愛する情によって心が慮りをして、これが偽(ギ:人の為すこと)となり行動となって出る現象のことである。

而して、親鸞聖人にはこういったエピソードがあった。(記憶が曖昧であるため脚色あり)

親鸞聖人は流罪となって、その後、転々と住まいを変えて浄土信仰を各地に布教していた。
あるところで、親鸞聖人は布教を行いながら生活をしていた。
そうしているうちに、ある人が親鸞聖人を危険人物とみなして、親鸞聖人を目の敵にすることになった。
このある人は、あるとき、親鸞聖人を闇討ちすることを決意して、親鸞聖人の居所に押し入る計画を立てた。
だが、親鸞聖人は皆から慕われていて、その闇討ちの情報も、親鸞聖人を慕っている人を通して、親鸞聖人に直接伝わることとなった。
「逃げてください」という皆の懇願を押しのけて、親鸞聖人は、いつもどおりにその居所で過ごしていた。
果たして、そのある人が親鸞聖人を殺すべく、その居所に押し入ったのである。
そして、そのある人は、恐れおののいた親鸞聖人を想像しながら、抜き刀で居所に駆け込み、親鸞聖人を切りつけようとした。
すると、そこには、平常心で穏やかな顔をした親鸞聖人がたたずんでいた。
その姿を見てあっけにとられたそのある人は、斬るのが目的であるならばすぐに斬ればいいものを「斬るぞ」と親鸞聖人に罵声を浴びせた。
すると、親鸞聖人は、「あなたがそれで満足するのなら斬りなされ」と一言。
そのある人は自分の愚かさに気がついて、親鸞聖人を斬ることを辞め、熱心な信者となったのであった。

孔子子路にも同じような逸話が残っている。

キリストの受難にも通じる話であろう。

確かに、これらの話は信じ難いことであるし、子路にしろそのある人にしろ、根はいい人であることを見ぬいた上で、この知者たちはそのような対応をしたのかもしれない。
それとも、「斬りにくる」という部分は、話しとして伝わるうちに変わった部分であり、事実としては、多くの懐柔者が居て、長期的に計画が無くなったのかもしれない。
親鸞聖人が居所を転々としたのは、その土地での布教が終わったからでなく、このように命を狙われて転々としなければならなかっただけなのかもしれない。

それは分からないが、事実言えることは、親鸞聖人には、自分の危害を顧みずに、どんな人でも受け入れようとする姿勢があったということだと思う。

易経、泰卦二爻には、「荒を兼ね、河徒歩渡るを用い、遠きを忘れず、朋亡ぶれば、中行に適うを得ん」とある。