いろいろ

いろいろ本を読んでいて、今後、解明しようと思ったことがあった。

まず一つ目

予定調和と競争

予定調和とは、信頼関係のことである。信頼関係が築かれると、ものごとは円滑に進むことが多い。しかし、逆にこれは怠慢と馴れ合いを生むものである。

一方、競争とは敵対関係のことである。敵対関係が築かれると、ものごとは円滑に進まなくなる。しかし、逆にこれは勤勉と工夫を生むものである。

だから、予定調和を期待していては競争ができない。しかし、かといって、表向きの予定調和し、裏向きで競争して、これらを併存させることは、裏切りと言われる。さりとて、競争を全面に出せば、それは敵対関係であり争いであり、争えば乱れて、乱れれば廃れるのであり、適当な予定調和も必要なのである。

だから、どちらも行き過ぎれば弊害があるが、どちらも必要なのである。よって、これらの両者の中庸なるものが期待されることになる。

これについては、日本の企業形態(株、銀行、融資)のことについて考えるところがあり、このようなことが考えられた。(社外取締役・大橋敬三・中公新書

日本のブラック企業などは、予定調和のたまものとも言える。なぜなら、予定調和によって、親会社やグループ企業から仕事がくるから、経営者は努力をしなくなるからである。慣れ合いで仕事が来るのなら、当然に、仕事はおろそかになり、仕事がおろそかになれば社内の規律が乱れて、社内の規律が乱れれば社員のやる気がなくなり、社員のやる気がなくなれば経営者は全てを従業員のせいにする。こういった予定調和によるひずみが、ブラック企業存在の一つの理由であろう。(事実、私の知るかぎりでは、特に中小製造業において固定した「お客様」が決まっている会社の方が、ブラック企業が多いからである)


二つ目

感情と行動

感情と行動とは別のものである。だから、怒っているのに笑うこともできるのである。しかし、怒っているのに笑うことについて深く考えてみると、結局は怒っていることによって、笑っているものである。だから、感情と行動には必ず因果関係があり、感情と行動とは別のものでないことになる。しかし、感情と行動が別の物であることは明らかであり、つまり、これら2つは同じ部分と違う部分によって混成していると考えるのが妥当ということになる。


三つ目

これについては、かなりの研究になるかもしれない。

史記や古代中国の書物には、「法を定めること多ければ国の滅びること近し」という考え方がある。これは老子思想の影響が強かったことが関係しているのかもしれない。だが、一方、こういった考え方が西洋にあったか、ということである。

そういった意味でも、西洋の法と東洋の法では、「法」という言葉自体の成す意味が違う可能性がある。


四つ目

史記の貨殖列伝で、司馬遷は、人は富を追うものである、成功した人にしろ失敗した人にしろ、富のために多くのことを為した。とまとめている。

しかし、これは本当にそうなのだろうか、昔から今に至るまで、「多くの人のために」、多くのことを為した人はいなかったのだろうか。確かに司馬遷の言うとおり、史記の登場人物は、皆自分のために動いていると思われる。

荀子のように、「民衆のために」何かしたと見受けられる人はいない。しかし、これは司馬遷がその観点から書いているからそのように見えるだけの可能性もある。それに、実は、その人がなぜそのようなことをしたのか、ということは、その人でなければほとんどわからない。特に、それが遠い昔の人であればあるほどである。

荀子韓非子は自著が残っているから、彼らの考えもなんとなくわかるのであるが、多くの支配者が何ためにそのような大掛かりなことをしたのか、ということは分からないものである。

こういったことと絡めて、前回の記事で明らかにした「生活の余裕」が、歴史的にどのように使われてきたのか、ということについて考えてみたいと思っている。これについて、実際にわかっていることとして、「多くの人のために何かやろう」と誠心誠意で考えている奇特な人が、現在はわりと居るということである。そうした人々は、昔も居たのだろうか、それとも居なかったのだろうか。

「生活の余裕」は、その増大に伴って、何に使われてきたのか、ということが明らかになれば、これらのことが少しわかるかもしれない。