史記を読んでいて3

史記を読んでいて、うんざりしてきた。

というのも、戦争の原因がいつも、愛憎劇であるからだ。

あいつがおれのおやじを殺したから、戦争で復讐する。

あいつはおれの女を取ったから、戦争で復讐する。

あいつはおれの一族を殺したから、戦争で復讐する。

人間なんてそんなもんかもしれないけど、そんな個人の見解を、戦争に組み入れる思考が、そもそもおかしいと思う。なぜなら、その戦争で実際に戦う人間は、平民であるけれど、やはり人間であるからだ。命の重みは、王でも貴族でも平民でも変わりはない。私に言わせれば、虫や魚も命の重みは変わらぬと思うが。

とにかく、荀子があの書物を書いた時代は、こんなくだらない時代であった。だからこそ、あのような書物ができたのであろうけど。

また、興味深いことには、諸侯たちは、こういった私怨を利用しているのである。敵国に私怨のある人間を召し抱えて、その者に復讐を遂げさせようとすることによって、自国を有利に導こうとするのである。

確かに、人間が大きな行動力を発する時は、大概、身近に愛する者と関係がある場合が多いが、私怨によって動けば、心が私怨に捉われ、心が私怨に捉われればまわりが見えなくなり、まわりが見えなくなれば何かを見落として、何かを見落とせば失敗して、失敗すれば損害を蒙ることになる。

そうであるのに、この時代に、そういった私怨による行動が成功を引き寄せたのは、まわりのレベルが相当低かったからなのだろうと思った。