114.荀子 現代語訳 臣道第十三 一章

臣道第十三 

一章

 臣下の種類は、態臣というものがあり、簒臣というものがあり、功臣というものがあり、聖臣というものがある。

 国内では政治を取り扱う実力など無くて民衆を一つにすることなどできず、国外では外難を防がせるようなこともできず、百姓から親しまれることはなくて諸侯から信じられることもなく、そうであるのに、動きは俊敏で巧妙、口は達者で、上の者から寵愛を受けるのが、態臣(うわべをつくろう臣下)というものである。

 上は君主への忠心などなく、下は民衆から誉れを取って、自分の公人としての立場を考えることもなく、徒党を組んで仲間でおもねり親しんで、君主を惑わしては、私事を行うことを務めとするのが、簒臣(簒奪する臣下)というものである。

 国内では政治を取り扱って民衆を一つにするだけの力があり、国外では外難を防がせるのに十分であり、民衆はこの人に親しんで士もこの人を信頼して、上は君主に忠義を尽くして、下は百姓を愛して飽くことがないのならば、これは功臣というものである。

 上は君主を尊んで、下は民衆をよく愛することができて、政令を発して教化を施せば影がその主に従うかのようであり、急なことにも応じて変化に対してよく機転が利くことはやまびこのように速やかであり、人間共通の感覚から類推して、栄誉を失うことなく、不測の事態にもよく備えて、細やかに要所を押さえてさまざまな現象を制することができるのならば、これは聖臣というものである。

 だから、聖臣を用いれば王となり、功臣を用いるならば強く、簒臣を用いるなら自分の立場が危うくなり、態臣を用いるならば亡んでしまうこととなる。つまり、態臣を用いるときは必ず死ぬこととなり、簒臣を用いることは必ず自分の身が危うくなり、功臣を用いるときは必ず栄えることとなり、聖臣下を用いるときは必ず尊くなるのである。

 この故に、斉の蘇秦、楚の州侯、秦の張儀は、態臣というべきものであり、韓の張去疾、趙の奉陽、斉の孟嘗は、簒臣というべきものであり、斉の管仲、秦の咎犯、楚の孫叔敖は功臣というべきものであり、殷の伊尹、周の太公は聖臣というべきものである。これが人臣の種類というものだ。吉凶賢不肖の極みというものである。必ず謹慎してこのことを心にしっかりと止めて、慎んで自分から選びとるようにするならば、これは考えるのに十分値することである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■現代は民主主義であるから、この事情も少し複雑になっている。そのことによって、簒臣と態臣がほとんど合体しているのかもしれない。民主主義と荀子の考えのすり合わせをいつか行いたいと思っているから、そのときにでも考えてみよう。