79.荀子 現代語訳 富国第十 三章-前

三章

 人が生きるにあたって、社会を形成しない(群れを成さない)というわけにはいかない。社会を形成して役割分担も序列もなかったら争うこととなり、争うこととなれば乱れ、乱れれば行き詰ることとなる。だから、役割分担もなく序列もなかったら、それは人にとっての大害と言うべきものである。

 こういった訳であるから、役割分担と序列があることは天下の本利(うまくいくためのもと)なのである。そして、君主がこの役割分担と序列を決める肝心かなめの中心なのである。だから、君主を美しくするならば天下の本を美しくするのであり、君主を安んずるならば天下の本を安んずるのであり、君主を貴ぶのであれば天下の本を貴ぶのである。

 昔の先王は、人間社会を分割して役割を明確にし、人間社会に序列を設けて等差の秩序を明らかにした。だから、美しいものと醜いものとがあり、厚いものと薄いものとがあり、安逸できることと苦労することとがあるのだ。

 このようにして上位者ができるわけであるが、この上位者たちは、ただ単に淫らに驕り居て派手に着飾っているわけではない。そうすることによって仁の飾りを明らかにして、仁のうちで、特に善で人に親しむことを促しているのである。

 だから、これらの人のために、装飾品や携行品を作るときは、貴賤の差別が分かることを旨として、無駄に奢侈なものを求めてはならない。これらの人のために、楽器や楽譜を作るときは、吉凶(吉は得ること、凶は失うこと)を見分けて、感動を共にし、貴賤の調和が生まれる程度にして、それ以上のことは求めてはならない。これらの人のために、宮室がを作るときには、雨風をしのいで徳を養い、事の軽重を判断するに足る環境が整えられることを旨として、それ以外のことは求めてはならない。

 詩経 大雅・棫樸篇に「立派にまげを結いあげて 的蘆の駿馬にまたがるは 藍染め錦を身につける 四方を治めるわが殿か」(詩の主旨はそのままにして、暴れん坊将軍をイメージし、内容はかなり変えた)とあるのはこのことを言ったのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■このことについては、アダムスミスの道徳感情論にも似たようなことが書かれてた。つまり、王族や貴族と言ったような、崇拝と羨望の対象というのは、いつの時代も大衆に必要なのである。また、崇拝と羨望の対象となるために相応しいだけの飾りや外見、また贅沢な生活というものが、彼らには絶対必要条件なのである。ちなみに、今で言うと芸能人がこれに当たるだろう。荀子の賢いところは、それを適度な所、つまり礼に従って仁の範囲に収めるべきことを強調しているところである。アダムスミス的に言うならば、同感できる適度な範囲ということになる。