あるべき介護保険制度について

あるべき社会について最近思い付いたことがあるので、この場を借りて発表させていただきます。

詳しくは分からないのですが、介護保険制度をもっと改善すべきでしょう。

現代社会は、都市部に人が集まり、農村が過疎化し、そのことによって核家族が増えて、高齢者単身世帯が増えています。そして、こうした社会状況に合わせる形で介護保険制度が作られています。

この他にも、人類の文明が発展し、医療の技術が進んで、少し前なら早死にしてしまっていたような方も長生きできていること、これも大きな理由と思います。長生きできる人が増えたことは、人類の一美事と言うべきもので、大変素晴らしく私としても大変歓迎している次第であります。しかし、高齢者が、赤の他人に預けられ、孤独に先祖の地を守り、年に数回しか孫の顔を見れないような社会が、果たして素晴らしい社会と言えるでしょうか。甚だ疑問を感じます。

仕事が忙しい、分かります。仕事が農村部にはない、分かります。介護は大変だ、分かります。このように農村部に仕事がなかったりすることは、人口の集約を促し、金銭が無ければ生活できないような、現在の資本主義下の社会では致し方ないことでしょう。

しかし、この何かが足りない資本主義社会の構造に合わせる形で介護の制度を制定するならば、介護施設はますます儲かるでしょうし、孤独な高齢者はますます増えることとなるでしょう。

これが住みやすい社会でしょうか?

住みやすい社会とは、人の助けが受けやすくて、そのことが称揚され、皆が孤独を感じることなく、敬われるべき人が敬われ、長者がいたわれる社会であると思います。ならば、介護保険制度は、敢えてこの時代の流れに逆行する形で推し進めねばならぬです。

つまり、在宅で高齢者を介護している世帯に手厚い保護を施して表彰し、高齢者をむやみに施設に預ける世帯には保護を行わず、老人を介護するという正義の仮面をかぶって金もうけをたくらんでいる輩には高い税金を課す。これこそが、あるべき社会の介護保険制度であると思うのです。

こういった政策を推し進めることができるのなら、このゆがんだ社会に歯止めを利かせることができ、さらには、自分自身が将来孤独になることもなく安心して老後を迎えることができるのです。それとも、今の苦難を恐れて、介護を赤の他人に任し、それでいて自分は施設に入れられて孤独になることはない、とでも思っているのでしょうか。

高齢者が大事にされないことが当たり前のこととなるならば、自分が将来大事にされなくなることはもちろんですが、それよりももっと恐るべき事態は、人が人を大事にしない社会になることです。高齢者を大事にしなかったら、わたしたちは家族の次に誰を大事にすればいいのでしょう。かの富財奢侈のあの人でしょうか、かの淫乱軽薄なこの人でしょうか。このような人々を大事にしたところで何も社会は善くなりません。多くの人のために長い間働いて、力尽き弱り衰えてしまった高齢者をこそ、最も大事にしなければならないのです。このような功労者を大事にできなくて、どうしてその他の人を大事にすることができるでしょうか。

金銭によって、金によって解決できることは、限られているのです。この金銭で解決できない部分をこそ、解決していくことが、本当の政治なのではないでしょうか。そして、金銭で解決できないことを解決してこそ、知恵ある指導者と言えるのではないでしょうか。

こういったわけであるので、もし、この意見に賛同していただける方がいらっしゃったら、ツイッターフェイスブックなどを利用して、この意見を広めていただきたいと思います。もしも、この意見が本当の政治家たるべき人の目に止まれば、そういった政策が実施されるかもしれませんし、そうでなくても、この意見を読んで、親孝行をするきっかけになる方もあるかもしれません。