69.荀子 現代語訳 王制第九 十章

十章
 
 王者の法。

 税の等級を定めて、政治を行うことは、万物を成して万民を養うための要である。

 田や野にかける税金は収穫物の1/10とし、関門や市場では検閲だけして税をかけないようにし、猟や漁に関しては禁止する時期だけ決めて税はとらないようにする。諸侯の貢物については、その距離に応じて貢物の量を変えて、遠いところは少なく近いところは多くする。財物穀物は流通するようにして、どこかに不本意に滞留するようなものがないようにする。このように、いろいろなものが自由に行き来するならば、世界中が一家のようなものとなる。

 このように、世界中が一つの家のようになれば、近くに居る者は自分の能力を隠すことがなくなり、遠くに居る者もはるばるやってくる労力を厭わないようになり、隠れて細々とやっているような国でも走り寄ってきて安心するのである。

 このようにできることを、人の師という。これが王者の法である。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■現在にあてはめてみると面白い。当時とは少し事情が変わっているとはいえ、大まかにはこういったことであろう。税金は基本的に収入の10%だけである。もちろん消費税も無ければ、関税もない、国によって管理される狩場や漁場はない。基本的には自由貿易、自由市場で、むしろ国家でこれを推進する。▼こう考えてみると、当時としては、相当に先進的な考え方だった事がわかる。そして荀子はTPP大賛成論者ということになる。つまり、TPPは良いのであるけど、その良いはずの事をゆがますいろいろなことが現代には多くあるのである。つまり、物品の滞留と労働力の不均衡をもたらす“為替”、貨幣をかたよって所持させるための“保護貿易”などがそれに当たるであろう。私が思うに、物々交換に近い形で物品と労働力が動くならば、これに越したことはないと思う。この本来あるべき形をゆがめているのは、労働力や物の価値をゆがめる“為替”や“暴走した貨幣”また、“貨幣への幻惑の欲求”であろうと思う。カール・ポランニーという社会学者は、貨幣と労働と土地の三つは市場で取引されてはならないと言っているらしい。この三つを市場に引きずり上げている“何か”が、本当の資本主義の欠陥かもしれない。