歩き瞑想をしていて

今日、歩き瞑想をしていたとき、先日記事に書いた専心ということを思い出して、なるべく、専心できるように工夫してみた。

そもそも、歩き瞑想自体が、自分の「歩くという行為に専心すること」であるのだけど、私の場合だと、修業を積み過ぎてわけのわからないことになっているのか、それとも、それに専心できていないのか、右足、左足と歩く行為に専心するだけだと、集中力や精神力が「余る」のである。

だから、右足と左足の動き、さらには、体に感じる温度や風の強さなどを心で確認しながらも、さらにその上で、他の考え事をしたり、心を動かしてしまうような余裕があるのだ。そうであることによって、心のある部分が勝手に動きだして、少し前を振り返ってみると、何か他のことも考えていたなぁとなってしまうのである。

そこで、100m先ほどのなんかの物体に視点を合わせて、「歩くという行為」と「肌で感じること」に加えて「少し前の目標」にも心を集中することをしてみた。すると、心がそれら以外のことに向かって動いていることにすぐに気が付けるし、何に対して心が動いていたのか振り返ってみて気が付けることが分かった。

こういった意味でも、「近い目標を定めること」も重要だなと思った。

ただ、難しいところは、あまりにも集中してまわりが見えなくなるようではならないということである。いかにのどかな農道とは言え、そんな猪が突進する時みたいな歩き方をしていたら事故に合ってしまう。だが、不思議なもので、うまく集中できると、逆にまわりのことが見えてくるという部分がある。とにかく、目標を定めるがまわりにも気を配り、とにかく今に集中するという、一般生活や人生においても大事と思われることが、瞑想で訓練できてしまうことが分かった。こういった心がけも忘れないように続けようと思う。