65.荀子 現代語訳 王制第九 三・四章

三章

 階級が全て等しくて同じであったらうまく治まらず、権力や力の差(勢)が全て等しくて同じであったら一つに団結することができず、民衆が全て等しくて同じであったらものごとは進まない。天があって地があって上と下には差があるのであり、明察の君主が起こって国を治めることになればそれに相応しい制度がある。(●分の均しければ則ち遍からず、勢の斉しければ則ち壱ならず、衆の斉しければ則ち使われず、天あり地ありて上下に差あり。明王始めて立立てば而ち君に処するにも制あり)

 ここに同じ位の貴い身分の人が二人いたらこの人たちはお互いに仕えることはないであろうし、ここに同じ位の賤しい身分の人が二人いたらこの人たちはお互いに使われることはないであろう。これは自然の数理というものである。

 ここに同じ権力があってその欲望も同じ者が二人いたら、物事がゆったりと落ちつくことがなくなるだろう、物事がゆったりと落ち着かなければ必ず争うこととなり、争うことになれば必ず乱れることとなり、乱れることとなると必ず行き詰まって困窮することとなる。

 先王はこの乱れを憎む、そうであるが故に、礼と義によってこれらのものを分別して、貧富貴賤の序列を明らかなものとし、同じ勢力が競い合わないようにする。これこそ天下を養うための本なのである。書経・呂刑篇に「これ等しいことは、これ等しからざるところなり」と言っているのはこのことである。

四章

 馬車の馬が驚いて緊張する時は、君子は馬車に乗っていることに安んずることができず、民衆が政治に驚いて緊張する時は、君子はその自分の位に安んずることができない。馬車の馬が驚いて緊張する時は、これを鎮めることに及ぶことはなく、民衆が政治に驚いて緊張する時は、これに恵み施しをすることに及ぶことはない。

 恵み施しをするとは、賢者と善人を選んでそのうちでも特に物事を大事にする人を推挙して、親孝行と長者に従うことを奨励して、寡婦を保護して貧困者の手助けをすることである。このようにすれば、民衆は政治に安んずることになるだろう。このように民衆が政治に安んじて、それから君子も己の位に安んずるのだ。古くからの言い伝えに「君主は船 民衆は水 水は船を浮かべて 水は船を覆す」(●君なる者は舟なり、庶人なる者は水なり、水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す)とあるのはこのことを言っているのである。

 だから、人の上に立つ者は、自分が安心し安泰であろうと思うのなら、政治を平らかに治めるようにして民衆を愛するに及ぶことはなく、自分が繁栄したいと思うのならば、礼を尊んで士を敬うことに及ぶことはなく、功績を残して名を成したいと思うのならば、賢者を尊敬して才能ある人を使うのに及ぶことはないのである。(●人に君たる者は、安からんと欲すれば則ち政を平らかにして民衆を愛するに若くは莫く、栄えんと欲すれば則ち礼を隆びて士を敬うに若くは莫く、功名を立てんと欲すれば則ち賢を尚びて能を使うに若くは莫し)

 この三つの節ができていないのなら、たとえ一つのことが細かいことまでできていたとしても大した効果は期待できない。孔子はこのように言った。「大節が道理に当たっていて、なおかつ細かいことまで道理に当たっているなら、上君と言うことができる。大節が道理に当たっていて、細かいことは道理に当たる時と当たらないときがあるならば、これは中君と言えよう。大節が全く行われていなかったら、たとえ細かいことが道理に当たっていても、見る価値もないようなくだらないことに過ぎない」と。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■三章は韓非子の六微に「参疑内争」として悪い事例について詳しく書かれている。

■四章に関しては、現在の自民党政権は、これと全く逆のことを行っているのであり(民衆が安心していないのに社会保障費を削る)、荀子の説を尊重するならば、何らかの破たんが近いことが予測できよう。これに対して、社会保障費を増やしたはずの民主党が安泰でなかったのはなぜだったのだろう。それについては私はこのように思う。つまり、現在では事情がかなり変わって、本当の困窮者が救われなかったことにあるのだと思う。本当の困窮者は、金を求めているのではない、人の助けを求めているのである。現在において、政治家が自分の安泰を求めてやるべき政治は、唯一つであろう。つまり、本当の困窮者(人の助けが借りられない人)に人の助け合いが届くような社会を作ってくことである。金で解決するのは簡単だけど、それでは、本当の困窮者が救われることはない。この金で何でも解決するような社会こそが、全ての困窮の始まりであり、これこそが全ての社会の問題なのである。老人ホームを増やすことは、老人を助けることでなく、一人さびしくすることであるのだ。こういった、心の困窮者に行き届くような政治こそ、現代において大事なのだと思う。