48.荀子 現代語訳 仲尼第七 一章-後半

 そうであるのに(春秋の五覇が栄えたのはまぐれではないのに)、それでも、孔子の門下では小学生ほどの子供も春秋の五覇のことを称賛することを恥じたのはどうしてか。

 答えて曰く、それは当然である。かの春秋の五覇は政の教えに基づいていなかったし、本当の隆盛というものを致したわけでもないし、文と理を(文化と文明)を発達させたわけでもないし、人を心から心服させたわけでもない。ただ、謀略を用い、賞と罰により人をうまく使い、財貨を蓄積し、うまく戦争をすることによって、敵を圧倒していただけの者なのだ。

 裏に腹積りがありながらそれを隠して勝ちを重ね、その奪い取った勝利を大義名分であたかも譲り受けたものであるかのように飾り、表向きは仁を行っているふりをして利を求めていた者なのである。つまり、所詮は小人の傑物でしかないのだ。どうしてこのような有様で、大君子の門で称賛されることがあるだろうか。

 かの王者たる者は、これとは全く違う。賢さを極めて愚かを救い、強さを極めて弱さに寛大に接し、戦えば必ず相手を危うくするのであるが闘うことを恥じ、ゆるやかに全てを手放しているかのような様子で文を成就して天下にこれを示し、さらに、暴虐の国家をも自ら改心させ、どうしようもない悪事があって初めてこれに誅を加える。(★●彼の王者は即ち然らず。賢を致して能く以て不肖を救い、強を致して以て弱きに寛(ゆる)くし、戦えば必ず殆うくせんも而もこれと闘うことを羞じ、委然として文を成して以てこれを天下に示し、而して暴国も安に自ら化さしめ、災繆なる者ありて然る後にこれを誅す。★)

 だから、聖王の誅というものは数少ないのである。文王の誅は四つ、武王の誅は二つ、周公は事業を大成し、成王に至っては誅を行うことはなかった。このようであって、道が行われないということなどあるだろうか。

 文王は、わずか百里四方の領地しか所有していなかったのだけど、王道によって天下の心を一つに集め、桀王や紂王は、事実として天下を所有していたのに、この王道を捨てたために庶民として老人となることさえできなかった。

 だから、もしもこの王道を善く用いることができるならば、百里四方の小国でも独立の道を歩むのに十分であるし、この王道を善く用いることができないならば、アメリカ、ロシア、中国のような巨大な国でも誰かから使われるだけの国となる。だから、人主たる者、道を得ることに務めないで、その勢力ばかりを拡げようとするならば、これこそ将来の危険の原因である。(●道を得んことを務めずして其の勢を広有せんとするは、是れ其の危うき所以なり)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■遂に王道について触れられた。胸が高鳴ってしまった。これからさらに明らかとなっていく、この王道こそ、さかしらでないのに剛、ひざまずかないのに柔、最強の中の最強にして古代ギリシア語で言うならパレイシアー、流れる大河にそもそも沿っている道、そう、まさしく王道なのである。この王道を理解することが、荀子を現代語訳している私の目的でもある。