47.荀子 現代語訳 仲尼第七 一章-前半

仲尼第七(仲尼は孔子の字、孔子のミドルネームみたいなもの)

一章

 仲尼の門下では、小学生くらいの子供でも、春秋の五覇を称賛することを恥じたという、これは一体どういう意味か。(●仲尼の門にては五尺の豎子も言うに五覇を称することを羞じたり)

 答えて曰く、それは当然だ。彼らは本当に称賛することを恥じていたのだ。斉の桓公は五覇のうちでも最も盛んな者であったが、王位に着くときは兄を殺し、身内には嫁いでいない女が七人もいたし、自分の宮殿は贅沢豪奢なもので斉の収入の半分でも維持できないほどであった。外交では邾の国を騙して莒の国を襲い、三十五もの国を力ずくで自国に併合したのだ。このように、斉の桓公の行った政治は、邪悪で汚れたものなのである。どうしてこれが、大君子の門下で称賛されるべきことと言えるだろうか。

 このようであるのに、滅びるどころか覇者となったのはどうしてか。答えて曰く、ああ、かの斉の桓公は天下の大節というものがあった、どうして簡単に亡ぼすことができるだろうか。

 冷静に淡々と管仲に国を託すべきことを見抜いたことは、天下の大知である。敵であった兄の家臣である管仲への怒りと憎しみを忘れ、遂には仲父と呼んで敬ったことは、天下の大決である。

 仲父と呼んで敬ったのに、斉の血縁の貴族でさえもこれを妬まなかった。高氏、国氏という斉の名族と同じ位を与えたけれど、古くからの家臣もこれを憎むことはなかった。三百ほどの村を与えたのに、どんな強欲な金持ちもこれを邪魔しようとはしなかった。民衆が貴賤長幼の区別なく桓公とともに管仲を貴び敬ってやまなかったことは、天下の大節といえるものである。

 諸侯のうちで、この節の一つだけでも所有していれば、斉を亡ぼすことはできただろうか。それは無理だろう。なぜなら、桓公はこの節をいくつも兼ね備えていたからである。どうして簡単に亡ぼすことができようか。斉が覇者となれたのは何の不思議なことでもない。これは僥倖でもまぐれでもない、数であるのだ。(数:計算できること、理論的に積み上げることのできるもの)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■斉の桓公管仲については韓非子に詳しい記述がある。そのうちのいくつかを紹介しよう。▼管仲はもと桓公の兄の家臣であった。しかし、管仲は自分の友と示し合わせて、兄の方の家臣となっていたのだ。その友は、ホウ叔牙と言う名で桓公に仕えていた。つまり、管仲とホウ叔牙は、この二人の皇太子のうちのどちらかが王となると推測して、二手に分かれたのである。もしも、兄の方が王となれば、管仲がホウ叔牙を取り立て、弟の方が王となれば、ホウ叔牙が管仲を取り立てる約束であった。果たして、ホウ叔牙が仕えていた弟が政争に勝利して王となると、ホウ叔牙が死刑寸前の管仲を助けたそうである。▼桓公は、管仲が死んだ後に死んだそうであるけれど、その死体は、ウジ虫が湧いてもほったらかしで、まともな葬儀を行ってもらえなかったそうである。

論語にも管仲の話は登場する。一つは、管仲のことを問われた孔子が、管仲の家には、諸侯にしか許されていない装飾があったらしく、これを批判する話。もう一つは、管仲のことを問われた孔子が、今の世があり、自分が学問をできるのは管仲がいたからだと、その功績を認める話。