46.荀子 現代語訳 非十二子第六 九章

九章

 士君子の容貌。(●士君子の容)

 その冠は高くそびえ衣服はゆるやかで容貌は和やかに、厳しくて犯し難くどっしりとしていながら安らかにのびのびとしていて、ゆったり広々としてはっきりとしているのにつかみどころのない様子は、親しみがあるのに威厳を失わない父兄としての容貌である。

 その冠は高くそびえ衣服はゆるやかで容貌には素直さと慎みがあり、困って助けを必要とし頼りないようであるのに端正で鋭く何でも見抜くような隙のなさがあり、多くのことを見聞することに努めているのに何もわからず迷っているような様子は、頼りないのに期待と親しみが湧く子弟としての容貌である。

 今度は学者の怪しげな様子を語ろう。

 冠は垂れ下がっていてそこに付いている飾りもしまりがなくて容貌はだらしなく、隠れ引っ込んでいるのに敵意が感じられ、漠然としてきまりが感じられないのに目ざとく何にでも首を突っ込み、何事にも億劫であるのに急に勢いよくなり、いつも人の顔色をうかがっている。宴会や舞踏の席では満足げな様子で自分を忘れ、礼節の中では失敗を恐れて病気のようなのに、それでいて人のあら探しは怠らない。苦労のある事業では、考えているような様子であるけれど何も手を付けずに離れていく。怠惰で危険なことばかりして恥知らずなのに、罵りと辱めを我慢する。こういった様子が学者としての怪しげな様子である。

 冠をだらりとしてその言葉をいたずらに奥深いものとし、禹のように行き、舜のように走るのは、子張氏の賤儒の様子である。(禹は黄河と長江を切り開くため忙しく政堂の前を三回通り過ぎた、舜は井戸の中に落とされて上の入り口を閉ざされたけれど横穴から抜けて助かった、これらのことから仕事に忙しくして逃げ足が速いということだろう)

 冠と衣服を正しく身につけて顔色を整え、物足りない様子で一日中口を開かないのは、子夏氏の賤儒の様子である。

 怠惰にして何事にも億劫な様子で廉恥心は感じられずに飲食を好み、君子は必ずしも力を用いる者ではないと言うのは、子游氏の賤儒の様子である。

 君子たる者はこのようではない。安逸であっても怠るような事はなく、力を尽くし苦労しても疲れ果てて隙だらけになる事はなく、自分の信念を貫き通すことを忘れずに、変化にうまく対処して細かいことにもその宜しき所を得るの者なのである。このようであって初めて聖人である。(●彼の君子は則ち然らず、佚なるも惰らず労するも漫ならず、原本を宗主として変に応じ曲に其の宜しきを得たり)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■今回はかなり頑張った。テキストを見てもらえれば分かると思う。君子となるのはとても難しいことである。荀子はここまで鮮明に言葉によって理想像を描けたのだから、やはり相当な人だったのだろうなと思う。

論語で、子張は何にでも先走り気味で軽率な弟子として描かれている。子夏は敦行厚実。子游はこれと言って特にないが、子夏とともに文学で誉められている。