45.荀子 現代語訳 非十二子第六 八章

八章

 士君子ができることとできないこと。

 君子は貴ぶべきことをよくすることができるが、必ずしも人に自分を貴ばせることはできない。信用するに足る行動をするのだけど、必ずしも人から自分を信用させることはできない。任せられたことは何事もうまくこなすことはできるのだけど、必ずしも人から仕事を任せられるようにすることはできない。(●君子は能く貴ぶべきことを為すも人をして必ず己を貴ばしむること能わず、能く信ずべきことを為すも人をして必ず己を信ぜしむること能わず、能く用うべきことを為すも人をして己を用いしむること能わず)

 だから君子は、自分の身が修まっていないことを恥じるのだけど、汚されることは恥じない。自分が信用するに足る人間でないことを恥じるのだけど、人から信じられないことを恥じない。任せられたことをうまくこなせないことは恥じるのだけど、人から仕事を任せられないことを恥じない。

 このようであるから、名誉に誘われず誹りを恐れず、道に従って行い、毅然とした態度で己を正して、外物に惑わされることがない。これを君子の誠と言う。詩経 大雅・抑篇に「おだやかで 慎む人こそ 徳の基礎」とあるのはこのことを言ったのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■この世の中で、最も自分の思い通りになる人間は、他ならぬ自分自身である。これはとても簡単で、当たり前のことなのだけど、かなり多くの人が勘違いしていることである。学問は人を変えるためのものであるけれど、人を変えるためにはまず自分から変えないとならない。http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20120330/1333117667

■「信ぜられるべきは己にあるも、信ずべきは人にあればなり」という言葉を何かで読んだ覚えがあるのだけど、何で読んだかと、その前が思い出せない。

論語・里仁第四より「子曰く、位なきを患えず。立つ所以を患う。己を知るものなきを患えず。知らるべきを為すを求む」

論語・憲問第十四より「詐りを逆えず、信ぜられざるを慮らず、そもそも先ず覚る者はこれ賢か」