27.荀子 現代語訳 栄辱第四 六章

六章

 栄辱の大分と安危利害の常体について。

 義を先にして利を後にする者には栄があり、利を先にして義を後にする者に辱がある。栄者は常にものごとが滞りなく進む(通である)が、辱者は常に行き詰っている(窮である)。通者は常に人を制しているけれど、窮者は常に人に制せられている。(●義を先にして利を後にする者には栄あり、利を先にして義を後にする者には辱あり。是れ栄と辱との大分なり。)

 これが栄と辱との大分である。

 正直で素朴な人には常に安心があり、放蕩無頼な人には常に危害がある。安心している人は常に楽しみ和らぎ、危害がある人は常に憂え悩むこととなる。楽しみ和らいでいる人は常に長寿であるし、憂え悩んでいる人は早死にしてしまう。(● 朴愨なる者は常に安利あり、蕩悍なる者は常に危害あり。是れ安危利害の常体なり。)

 これが安危利害の常体というものである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■今回はほとんど書き下し文と同じになってしまった。

■現代ではこの荀子の説もいささか違う部分があるような気がする。ああ、この生きにくい世の中よ!

義を先にして利を後にする者には貧があり、利を先にして義を後にする者には金がある。貧者は常に金に制せられ、金者は常に人を制す。貧者は金に制せられて心折れ、金者は人を制してますます驕る。

これが貧と金との大分である。

正直で素朴な人は掠め盗られ、放蕩無頼な人は泰若にして居直る。掠め盗られた者は心挫けて傷つき、泰若なる者はますます居直りて驕る。心挫けて傷ついた者は義を忘れて利に走っても時既に遅く、居直って驕った者はますます居直って驕る。

これが安危利害の常体というものである。

だが、違う。私は知っている。

正直で素朴な人は前を向いて歩けるが、放蕩無頼な人はこそこそと下を向いて歩くことを。

やはり今の経済と社会は間違っている。