28.荀子 現代語訳 栄辱第四 七章

七章

 天が人類を生み出したときから、どのようにしてどのようなものが得られるのか、という法則は決定している。(●それ天の蒸民を生ずるや、各々その取る所以を有らしむ)

 志と心がちょうど良いところに修められていて、徳行もちょうど良いところが厚く行われ、智慮もちょうど良いところを過ぎずに明らかであるのは、天子が天下を治めるための条件である。

 政令に法則があってでたらめでなく、何をするのにも時節を心得ていて、何ごとも公平に判断し、上は天子の善い命令によく従い、下は百姓を安んじて保つことは、諸候が国を治めるための条件である。

 普段の心がけと行いが修まっていて、役所仕事もよく治まっていて、上の善にはよく従って、下はその任せられた仕事を全うすることは、大臣(士大夫)が農村を治めるための条件である。

 法令、はかりの単位(例えば、メートル)、刑法、図面戸籍を順守して、それらの意味が分からなくても、その計算方法をしっかりと守り、謹慎してそれらを勝手に増減するようなことはなく、親子で伝えて王侯を助けることは、これこそ、周までの王朝が途絶えても、治める方法が残っている理由であり、役人たちがその録をもらうための条件である。

 孝行を旨とし長老に従って誠実、勤労に力を尽くして事業の完成に貢献して怠けることがないことは、庶民が、温かく過ごして飽食し、安楽に長生きして、刑罰から免れるための条件である。

 邪説を飾り立て人を陥らす言葉をうまく話し、奇怪な行いで人目を引き、嘘つき盗みを行って、狂暴にして粗略な行いでおごり高ぶり、乱れたところに現れては人道に背くことをするのは、悪人(姦人)が、恥辱をさらして死刑となる原因である。

 考えることは浅はかで深いということがなく、選ぶことは目先の利益と自分の欲求に従わないということはなく、どちらにするかがいつもいい加減であることは、自分の身を危うくする原因である。(●其の慮ることの深からず、其の択ぶことの謹しまず、其の取捨を定めることの粗慢なるは、是れ其の危うき所以なり。)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

荀子は、「因果の法則」をよく理解しているなと思う。そういった意味でも、計算(数)が得意だったのではないかと思う。計算と言うと、数のことばかりを思い浮かべるかもしれないけど、そればかりが計算ではない。「あいつは計算高い」という表現があるように、状況証拠や条件など、具体化されていることを積み上げて、推測をはじき出すことは、全て計算(数)である。