22.荀子 現代語訳 不苟第三 十一章

十一章

 通士なる者がいる。公士なる者がいる。直士なる者がいる。愨士(コク)なる者が居る。小人なる者がいる。(●通士なる者あり、公士なる者あり、愨士なる者あり、小人なる者あり)

 上は君を尊んでいて下は民衆を愛し、事物の変動によく応じて何か事が起こればうまく対処する。このようであるならば通士といえよう。

 自分の配下や自分の自由にできる人とおもねり徒党を組んで、上に隠れて悪事を働くようなことがなく、逆に上の人におもねり同じて下の人を苦しめることがなく、争いごとが起これば中に割って入り、自分の利益や好みを反映せずに公平な判断をする。このようであるならば公士と言えよう。

 自分の長所や手柄が上の人に認められることがなくても、上の人を怨むようなことはなく、自分の短所や失敗に上の人が気が付かなくても、その自分の落ち度は肯定して余分な報償は受けず、自分の良いところも悪いところも飾ることなく、情実の自分を主張する。このようであるならば直士と言えよう。

 普段の言葉は常に裏表がないものであって、普段の行動も常に慎んで自分の心と違うことがなく、流行や大衆理論に染まることを畏れるけれど、ただ自分のみが善しとすることにこだわるわけではない。このようであるならば愨士と言えよう。

 言葉はいつも言うことが変わって裏表があり、行いもなんの決まりもなくて恥知らず、ただ利がある所にばかり傾いていく。このようであるならば小人と言えよう。(言に常の信なく行に常の貞なく、唯利の在る所に傾かざる所なし。かくの如くんば則ち小人と謂うべし。)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■前章で君子の用いる操術(無駄な労力を用いない術)が出たので、ここで君子が労力を用いるべきところを明らかにしている。つまり、前章の操術を小人は利を得ることばかりに用いようとするわけであるが、そのことを戒めているのである。君子は道にあらざればいやしくもせず。

■ここまで明確に、組織に属する人のあるべき姿が語られてることに、驚かなくてはならない。当たり前であるが、小人の項以外は、全て人が模範とすべき行動様式である。組織に属する人、と書いたのであるけれど、国も組織であるし、家や家族も組織である。

■小人の項目は、小人(つまらない人間)の小人(下らない人間)たる所以が的確に表現されていると思う。しかし、こういった小人の要素は、もちろん私も含めて誰しも多かれ少なかれ持っているものであるから、十分に戒めなければならない。