7.荀子 現代語訳 勧学第一 八章

八章

 間の悪い者には答えてはならない。答えの悪い者には問うてはならない。説明するのが下手な者には聴いてはならない。争気(負けん気)のある者とは弁論してはならない。だから、必ず、その道に従っていて、その道に合致しいて、そうしてはじめてその人と接するようにし、その道でないのならばこれを避けなければならない。

 この故に、そのたたずまいが恭しくて、そうしてともに道の方向について語ることができ、ことば(辞)が秩序だっていて、そうしてともに道の法則について語ることができ、顔色の変化が善悪と合致していて、そうしてともに道の到着点について語ることができる。

 だから、まだともに語るべきでないのに語ること、これを傲(うるさい)といい、ともに語るべき時であるのに語らないこと、これを隠(だんまり)といい、顔色を見ないで言うこと、これを瞽(目暗)という。

 だから、君子は傲でも隠でも瞽でもないように、自分自身を謹慎するのである。(●君子は傲ならず隠ならず瞽ならず、其の身を謹慎す)詩経 小雅・采菽篇に、「あの人達の、つきあいは、いい加減でなくて、簡単にくずれない、これこそ褒美を頂ける」とあるのはこれを言うのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■ここでは学問をともにすべき人と、学問の具体的なやり方を示している。言論や容貌に隠れたその人の道を探査しなければならない。

論語をよく読んでいるなと思う。傲・隠・瞽については、六章の解説に詳しく書いてある。

論語子罕第九より「子曰く、ともに共に学ぶべし。未だともに道に適(ゆ)くべからず。ともに道に適くべし。未だともに立つべからず。ともに立つべし。未だともに権(はか)るべからず。」現代語訳、みなと一緒に学ばなければならない。しかしそれらの人と同じ道を歩くことができるとは限らない。その人とは同じ道を歩まなければならない。しかし、その人と同じ目標を持てるとは限らない。その人と同じ目標を持たなければならない。しかし、その人と同じことについて実際に事に当たれるとは限らない。