正見とはどういうことか
最近、「社会システムの文明潮流」という本を読んでいる。この本は、簡単に言うと、社会を「政治」「経済」「精神」の三つのシステムに分けて、この三つの社会システムから、人類の歴史を読み解こうというものだ。主にカール・ポランニーという経済社会学者の説に立脚しているみたいだ。この筆者の方も、このカール・ポランニーについて、しっかり理解できていない部分があるみたいで、カール・ポランニーについてしっかり自分でも研究してみる必要性を感じた。まあ、それは置いておいて、この本には、今までの自分の認識とは少し違う視点から、歴史社会が捉えられていた。私の見解とは、違うのであるのだけど、「決して間違っていない」と思われた。
この複雑な「社会」「歴史認識」という問題を通して、私は正見がどんなものか少し分かった気がした。このことを例えばなしで考えていた時に、これはまさしく正見と切っても切り離せないことだということに気が付いた。
ここから、その例えばなしをしたいと思う。
私はボールペンを持っていた。だけど、これが何か分からなかったから、ある人に聞いた。
「これは何ですか」
ある人は答えた。
「それはボールペンです」
「ありがとうございます。これはボールペンなのですね」
しかし、私はまだ満足できなかった。そして、また別のある人に尋ねた。
「これは何ですか」
また別のある人は答えた。
「それは鉄とプラスチックからできた物体です」
「ありがとうございます。これは鉄とプラスチックからできた物体だったのですね」
またしても、私は満足できなかった。そして、また他の人に聞いた。
「これは何ですか」
また他の人は答えた。
「それは筒状で10センチくらいのものです」
「ありがとうございます。これは筒状で10センチくらいのものなのですね」
だが、やはり満足できずに、また別の人に聞いてみた。
「これは何ですか」
「それは、元素というものからできていて、元素とは、電子と陽子と中性子から〜〜〜〜10経過〜〜〜〜というものです。」
「ありがとうございます。これは元素というものからできていて、元素とは、電子と陽子と中性子から〜〜〜〜10経過〜〜〜〜というものなのですね」
だが、やはりまだ満足できずに他の人に聞いた。
「これは何ですか」
「それは、書くときに使うものです。紙の上で先端を滑らすと、線がかけます」
「ありがとうございます。これは書くときに使うもので、紙の上で先端を滑らすと、線が書けるものなのですね」
私は思った。これはボールペンと言う鉄とプラスチックでできた円筒形の10センチくらいのもので、元素からできていてここにはいろいろ細かいこともあるけれど、書くときに使うもので紙の上で先端を滑らすと線が書けるものなのであろう、と。
だが、私は釈然としなかった。皆が皆違うことを言っているのに、みんな正しいということがあるのだろうか。同じものを表現するのに、どうしてこんなに別の言い方があるのだろうか。
そして、この世で最も智恵のあると言われる人の所へ行って、今までの顛末を全て話した上でボールペンを手に取りこう聞いてみた。
「これは何ですか」
その人は答えた。
「それはそれです」
「答えになっていないのではないですか?私はあなたが智恵のある人と聞いてここに来たのに、そんな人を馬鹿にしたようなことを言わないでください」
「私はあなたを馬鹿にしていません。あなたにとって、それはそれでしかないでしょう。あなたはそれをありのままに見なさい」
「私はこれをありのままに見て、まだ何か分からないから聞いているのです。それとも、私が今まで聞いたことは全て間違ったことなのでしょうか」
「いえ、あなたが今まで聞いたことは全て間違ったことではありません。その人たちは、ある観点からしかそれを見ていないだけのです。あなたは多くの人の観点を知って、それをいろいろな角度から見ているでしょう。それを見る人が百人居たら、百通りの観点があるでしょう。だから、あなたにとってのそれはそれでしかないし、その人達にとってのそれもそれでしかない。だから、私は『それはそれです』と答えたのです」
「しかし、それではいまだにこれが何なのか分かりません。あなたならわかるはずです。教えてください」
「いえ、それはそれでしかありません。それがありのままに見ると言うことです」
「納得できません」
「いいでしょう。それは、金でできていますか」
「できていません」
「それは、角ばったものですか」
「違います」
「それは、目に見えない物質でできていますか」
「目に見えます」
「あなたは、それをそれとしてしっかり正見しているではないですか。それをそれとして見ることができるのなら、それがありのままに見るということです。まだ別の観点でそれを見たいと言うなら、自分で調べてみるしかありませんね」
「なるほど、わかってきました。これはこれでしかないですね。私は、これがどんなものであるか知りたかったのですが、私がこれをこれとして見る限り、これはこれであるということなのですね」
「そうです。それはそれなのです」
終わり。