孟子を読んでいて2

 最近は、学問のすすめと並行して、孟子を読んでいる。

 かなり面白い。

 孟子も、何回も読む価値があると思う。さすが、四書に数えられるだけある。だが、孟子のあまりよろしくないところは、当時の作法とか、人物が例えに用いられているところで、たまにというか、けっこう意味が分からなくなる。だから、当時生きていた人からすると、「なるほど、その通りだ」と簡単に納得できるような話なのかもしれないけど、現代に生きている私からすると「ん、どっちが孟子だ?」と、説得をしているはずの孟子が、言いくるめられているように思われるときがある。まあ、ほんとに、昔の儒者好みの本だろうなとは思う。

 ところで、最近、思い始めたのだけど、この現代で、こんな古典を飽きもせず読んでいる人間はどの程度いるのだろう?まあ、私からすれば、(我ながら)とても立派なことと思うけど、ほとんどの人からすると、変なやつ(変わり者)としか思われないのだろうなと思う。しかも、私くらい読んでいる人間なんて、ほんとに日本中、世界中探しても(学者を除けば)多く見積もっても1000人くらいしかいないかもしれないとも思い始めた。

 それは置いといて、孟子の中で、これはと思ったのを紹介しようと思う。今引用しようと思っていたところを探したら、全部「公孫チュウ章句上」にあった。

1.気と志と心の違い
2.浩然の気
3.四辞(四つの言いわけの種類とその原因)
4.四端(四つの性善の心とそれを育むことでできる徳:仁義礼智)

 4だけ詳しく紹介したいと思う。

「惻隠の心は仁の端(はじめ)、羞悪の心は義の端、辞譲の心は礼の端、是非の心は智の端」

 的確に人間の心と、徳の端(はじめ)を捉えていると思う。