謀略のイロハ イロハのロ

 謀略の要、第二は漏(ロウ)である。

 漏という言葉は、広辞苑で調べてみると、「もれる」と読んで、もれること、抜け落ちることとなっている。だが、この漏は仏教用語でもあって、煩悩を意味する言葉でもある。(または転じて、五感のことを意味することもあったと思う)

 謀略が秘密裏でないと意味がないということは、意外性というキーワードで示したのだが、その謀略が事実として行われている以上、何らか漏れ出るものがある。だから、この些細な「漏」を読み取ることが重要なのである。

 しかし、そんな些細な「漏」を簡単に読み取れるのか?と思われるだろう。だが、本当に読むべきは、もうひとつの「漏」、つまり、欲の方のことなのだ。

 「敷居をまたぐと七人の敵」とか、「人を見たら泥棒と思え」ということわざがあるように、人間が生きていくうえでは、自分以外の人は全て敵と言っても過言ではない。だから、全ての人(組織)に対して、そもそもこの「漏」をしっかりと読んでおく必要がある。つまり、煩悩が多いのか少ないのか、またどういった煩悩にその人(組織)が支配されやすいのか、ということを観察しておけ。ということである。

 謀略と言うのは、そもそも何らかの利害関係で起こる。だから、あらかじめ何をしたいのか、そしてまた、それはどれだけ強い欲求なのか、ということが分かっていると良い。すると、その方向性のもとに、漏れ出る方の「漏」も察知しやすくなるし、なんらかおかしなことが発生した時、それが謀略かどうなのか、また誰の謀略なのかということを判断しやすくなる。

 謀略と言うのは、基本的に、賢さからは起こらない。賢さというのは、事実をしっかりと弁える(弁ずる)ことであるからである。次に、謀略と言うのは、基本的に、頭の良さや記憶力の良さからは起こらない。こういったものは、考える力のことであって、考える力は欲求に使役されるに過ぎないからである。つまり、謀略と言うものは、その根源を辿ると常に「欲」から生じていて、賢さや頭の良さとは関係がないのである。

 途方もない欲求が、それの実現を求めて外界を秘密裏に動かそうとすること、これこそまさに謀略のなのである。だから、謀略や策というものは、必ず何かの強い欲求によって起こるし、深淵で読みがたい謀略ほど強い欲求から起こっていることが多い。だからそもそも、この「漏」(欲求)の方を先に読んで、あらかじめ心しておけば、その謀略の「漏」(漏れでる事実)の方も読みやすくなり、結果として謀略を防ぐことに役立つわけである。

 「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」(孫子より)この言葉を一歩進めて理解したのが、この「漏」を読むことと言える。