国債制度が破たんしてしまった場合の想定(妄想)1

♪テレレ テーテ テテテテ テーテーテ

♪youはshock!

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202X(二千二十エックス)年、日本の国債制度は破たんした。

日本国債の利払いができなくなり、国債によって現金を受け取ろうとする人に現金が手渡されなくなったのだ。

あらゆる日本の金融機関は麻痺し、ただ混沌のみが日本の経済を覆うのであった。

だが、日本人は律儀であった。次の日、ちらほらと出勤する者がいなかったことは事実だが、ほとんど全ての国民がいつも通り、各々の職場に向かったのであった。ある職場では、経済に詳しい人を中心に輪ができていたし、しっかりした経営陣のいる会社では状況説明が行われた。

皆が不安に刈られたが、特にこれと言って犯罪は起きていないようだった。それはそうである。警察が職務をしっかりと遂行していたからだ。パトカーは全て出払い、いつになくサイレンを伴わない赤色灯が街を賑わしていた。

テレビやラジオからは、「落ち着いてください、今までと生活は何も変わりありません」とお決まりの言葉が何度も繰り返されていた。

だが、間違いなく生活は何ら変わりないというものではなかった。カップラーメンを始めとする保存できる食品が、店の陳列棚から全て消えていたのだ。

そして、一週間ほどすると、ガソリンの値段が上がり始めた。また、それに伴って石油を用いたものの値段が上がり出したのだ。石油は貴重品になりつつあった。なぜなら、中東諸国は、もう日本に石油を輸出しなくなったからだ。しかし、電気だけは常に供給されていた。なぜなら、全ての稼働していなかった原発がここぞとばかりに動き出していたからだ。この国債破たんの日を見越していた政府は、電気の供給だけでも止まらぬようにと事前に電力会社を裏から動かしていたのだ。しかしもちろん、このことは公にされていなかった。そして、これが公になったあと、20年ほど前に反原発と叫んでいた“やから”が何も言わなかったことは言うまでもないことだった。

そして、当然のように、次第に、他の生活必需品も店の陳列棚から無くなり出した。

何より困り始めていたのは、田舎に住んでいる人たちだった。トラックが使用できなくなったことによって、店舗まで物品が供給されなくなったのである。つまり、ほとんどの車が、無用の鉄の塊と化していたのだ。

国連やIMFでは、日本への協力が促された。しかし、その決議は、ほとんど有名無実のものであった。報道はされなかったものの、一部の恩義を感じる美徳のある国を除いたほとんどの国が、これ幸いと、日本から借りていた多額の借金を帳消しにし始めていたのだ。一部の美徳と秩序のある国だけが、日本への恩義を返すときと感じて物資を融通する程度だった。日本の外交官は口々に「金の切れ目が縁の切れ目か」などとぼやいていた。

だが、「金の切れ目が縁の切れ目」ということが、全ての真相ではなかった。ほとんどの国が、この「津波」を如何にして防ぐかという施策に追われていたのだ。どの国も日本どころでは無かったのである。

日本は、工夫と団結を重ね、地域が一体となることで、なんとか治安の悪化を防いでいた。ほとんど壊滅的だった物資の供給も、この工夫と団結で乗り切り、車が使えないことや、新しい文明の利器を新たに購入できないということ以外は、ほとんど以前と代わりのない生活を過ごすことができていた。社長とかなんとか、資本があることだけで偉かった人間は、ほとんど自殺してしまっていた。そして、このころから皆は、皆をまとめてくれる知恵ある人に次いで、農業を生業としてきた人を尊敬するようになっていた。

もう、電気もほとんど供給されなくなり、テレビも無用の長物となって、しばらくしたそのころだった。遠くの空で、何かかが大きく光ったのである。

つづく…