荀子を読んでいて6

 菜根譚を読み終わったので、また荀子を読むことにした。

 やっぱり、荀子はすごい。かなり賢い。何回も読みたいと思えるごくまれな書物だと思う。今、正名篇を読んだのだけど、その理論と言っていること、その断言のし様子といい、非の打ちどころがほとんどない。ただ、その言い切りの強い理論構成から、たまに牽強付会としか言えないようなところもある。だが、それを凌いで蔽うだけの素晴らしい点が多い。

 論語には、孔子が「先生は、政治に携われたら、まず最初に何をしますか」と聞かれたのに対して、「まず、その名を正す」という場面があるのだけど、この意味、このことの重要性を説明しているのが、正名篇と言っても過言ではない。これを読んで、意味が分かった人は、「名前なんて、適当で良いよ」なんて絶対に言えないと思う。

 その正名篇の中から、これは、と思った部分を抜粋してみる。

「凡そ治を語りて欲を去ることに待つ者は、以て欲を道びくこと無くして欲あることに困(くるし)む者なり。凡そ治を語りて欲を寡(すく)なくすることに待つ者は、以て欲を節すること無くして欲の多きことに困しむ者なり。欲あると欲なきとは異類なり、情の数なり、治乱には非ざるなり。」

治めるということを議論しているのに、その解決策を欲が無くなることに期待するものは、欲を正しい行いに導くことをしないで、欲があることにただただ困っているだけの者である。治めるということは議論しているのに、その解決策を欲が少なくなることに期待する者は、欲を減らそうともせずに、欲の多いことにただただ困っている者である。欲があることと欲がないことは全く別のことであり、それは人情における至極当然のことだ。欲があるかないか、多いか少ないかは治乱とは全く関係のないことである。(治乱の違いとは、やろうとする意志があるのか無いのかという違いである。)