菜根譚を読んで1

 この前、言志四録を読み終わったので、今は菜根譚を読んでいる。今、前集を読み終わった。

 その名の通り、まるで、筋ばっていて味気のない菜根をかみしめているような気がする。

 だが、菜根譚の中にもあるように、食べ物と言うのは、楽しむためのものでなくて、薬なのである。食べ物は、あくまで体を養うためのものでしかない。確かに、良い味気を感じることで、精神は多少養われるかもしれない。だが、基本は養物であるのだ。だから、おいしいものを選ぶより、自分の体を養うものを選んだほうが良い。このように、その食べ物に関する常識と思いこみを一転すれば、この菜根も味わい深いものとなるだろう。

 文章の体裁としては、短めの文章で、やはり処世術的なことが書かれている。だが、この菜根をかみしめて味わうことのできる人は、そうそうはいないとも思う。なぜならば、全く逆のことすら書かれているからである。

 ここでは世間に汚れすぎるなと廉潔を促し、ここでは綺麗すぎる清水に魚は住まないと言う。結局どっちなんだ?という話である。だが、ここが菜根の味わいどころであり、処世の難しいところでもある。さらに言うなれば、これこそが、礼の妙所であり、義の難所であるのだ。

 だがしかし、その半面ですべて統一されたこともある。それは、菜根をかみしめて、つまり菜根譚を読んでもらうことで味わってもらいたい。語彙が難しく、また、前にも述べたように判断に難しいこともあるので、ある程度、他の漢文の書物に通じた人でないと読みこなせないような気もする。私が読んでいるのは、岩波文庫のものだけど、他のならもっと読みやすいかもしれない。あと、wikiの愛読者のところを見てもらっても、どんな本なのか少し分かってもらえると思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%9C%E6%A0%B9%E8%AD%9A