歴史を何かに例えると
水面の波と言えるような気がする。
何かどこかで以前読んだような記憶もするけど、一か月ほど前、世界史のオーディオブックを聞いていたときにそう思った。
池か水溜りのような静かな水面を想像していただきたい。
この水面と水は清らかで美しく、透き通って青く、見る人によって、その大きさは違う。
ある人は、この水面の日本という部分だけを見て、それがすべてだと思っていた。またある人は、その日本という部分のさらに少ない部分だけを見て、それがその水面のすべてだと思っていた。
だけど、知恵者は、その水面が限りなく広いことを知っていた。知恵者は、その水面がどれだけ広いか想像できないことも、また、その水面がごく限られた部分でしかないことも知っていた。
この水面には波が立つ。
それは一応にすべてが正弦波ではない。
波は至るところで発生する。
そして干渉する。
この波たちは、あらゆる部分で干渉しあい、水面は複雑な紋様を生み出す。
浅いとろで干渉した波は地面の砂埃をあげてその水の色を汚した。
多くの波が干渉した部分では、その波が大きく高くなった。
その波の発生源は微弱でも、多く集まって、同時に波を発生させ、大きな波を立たすこともあった。
その波の発生源は小さいのに、信じられないくらい強い波が立つこともあった。
短い間しか波を出さない発生源もあれば、長い間にわたって波を出し続ける発生源もある。
要は歴史とは、この波と水面の記録だ。
時には発生源を特定し、時には波自体をしっかり観察する。それが歴史だ。
特に人間が発生した波について記したのが歴史だ。
だが、この水面はもっと大きな波にも支配されている。そのことは、まだ人類の歴史という言葉には含まれていないけど、それも含めたのが本当の歴史かもしれない。