大空の戦い

 昨日の昼休み(2009/11/9のこと、なんとなくこの話を思い出したので以前の記録からここに転載します)、たまたま、とんびの小さいのか、ハヤブサのような猛禽類が、自分の体ほどのハトを捕食しようとする現場に出くわした。それで、私が見たときにはその猛禽類が、その自分の体ほどもある獲物を足で掴んで飛び立とうとしたときだった。まあ、その猛禽類も私が突然現れたのに驚いて逃げようとしたのかもしれない。

 それで、その猛禽類は飛び立ったときに、そのハトを落としてしまった。「あー、弱肉強食の理の邪魔をしてしまった」と思ったそのときだった。何故か複数のカラスの鳴き声がする。空を見上げてみると、その猛禽類が4羽ほどのカラスから攻撃を受けていた。しかも、カラスのほうが一回りは大きい。一般的な人なら猛禽類の方を応援したくなると思うが、私は極上の変わり者なので、あくまで中立の立場を守ってその様子を眺めていた。

 4羽のカラスは入れ替わり立ち代り、猛禽類に対して攻撃を仕掛ける。だが、猛禽類はうまいこと、ヒラッという感じに攻撃を避けて、カラスの攻撃は一切猛禽類に当たらない。ただの威嚇行為かと思うほど当たらない。しかし、カラスの動きにあわせて猛禽類は動いていたので、避けていたのだろう。そのまま、カラスの猛攻は続く。それで、5分ほどしたころにカラスも疲れてきたのか、攻撃の手数が減ってきた。その時だった。猛禽類は徐々に自分の飛んでいる高度を上げだしたのだ。それで、もう気付いたときには、猛禽類はカラスの飛べない高度を保っていたのだ。

 それで、後から気付いたのだが、カラスは常に上から猛禽類を攻撃していたのだ。つまり、猛禽類が自分たちより高く飛ぶことを知っていたのだ。猛禽類もカラスが自分より低いとこしか飛べないのを知っていて、そのような戦法を使っていたのだ。それで、この戦いを省察してみると、お互いがお互いの力量をよく知った上で、最も効果的な戦法を使っていたことがわかる。カラスは高度のことを知っていて、4羽の陣と上空からの攻撃を行っていて、猛禽類もその戦法を突破するために、一切攻撃をせず、ただ回避と上昇に専念していた。お互いに、己を知り敵を知った、余りにも合理的な戦法を使用していたのだ。

 それで、この闘いの行方はというと、カラスは諦めて50メートルほど離れた電線で羽を休め、猛禽類はしばらく自分の獲物であったハトの上空を旋回していたが、結局その獲物に手をつけることなく、その場を去ったのだった。

 全ての事の発端は、猛禽類が分不相応な獲物を手にしたことから始まっているのだし、人間界も自然界もやっぱり同じことが言えるのだなぁと思ったりした。それで、この観点からすると、私は、無勢に多勢のカラスを卑怯ともなんとも思わない。もし、それがカラスの貪欲によるものなら浅ましいが、多分そうではなかろうて。カラスも今日の命をつなぐのに必死なのだと思う。こういった意味でも、人間の貪欲の浅ましさというか、下劣さというか、畜生にも劣るものを何となく感じたのだった。あの猛禽類も分不相応な獲物を獲ろうとは今後思わないだろう。

本日追記
 ちなみに、この猛禽類が隼であったかどうかはわからないが、隼は、「易経」の中でも貪欲なものの象徴として記されている。詳しくは、易経、解卦の上六の爻辞を参照のこと。