公債は錬金術

 公債は一種の錬金術であると思う。

 何かおかしい。

 公債の起源は、時代で遡ること300年、フランスと戦争中であったイギリスにある。イギリスは、太陽の沈まない国スペインを、アマルダ海戦で打ち負かしただけではなかった。スペイン王家の借金財政という欠陥をも自らの成功の糧にしていたのだった。イギリス銀行が設立され、それに伴って、借金を正当化する国債が発行されることとなった。

 国債という制度を入手したイギリスは強くなった。錬金術を駆使したイギリスは、他の国を圧倒して強くなった。そして、大英帝国を築いた。奇しくも、というか、必然であろうが、産業革命−人類工業化革命は、国債とともに始まっていたのだった。

 だが、この錬金術が生み出したツケは大きかった。それは、急速で不自然な物的富を人類にもたらしたのであったが、半面で、その自己矛盾と意義の欠如は、天に一種の膿みを蓄積していたのだった。

 そして、先ず、ギリシアがその国債という制度の脆弱性を証明した。

 錬金術は所詮錬金術であったのだった。錬金術師は、富という夢を追いかけて、すべての富を失うばかりか、信用まで失ってしまったのであった。