現在の民主制の不完全性について

今、図書館で借りてきた詳説世界史というオーディオブックを聞いているのだけど、それの古代ギリシアについての話の所で、おかしなことに気が付いた。

 アテナは、民主制であったが故に強かったと言った、その直後に、指導者のペリクレスを失ったことにより政治が混乱し、弱くなった。となったのだ。あれ?と思った。まあ、細かいことは置いておいて、民主制なのだから、指導者は人民であるはずであるからだ。

 どういうことかと言うと、本当の民主制ならば、人民が真の指導者であるはずであり、政治家の一人や二人が居なくなったところで、政治はそんな簡単に変わらないはずなのである。なぜなら、政治家が居なくなったところで、真の主権者、指導者であるはずの人民が総入れ替わりするわけではないからである。

 この観点からすると、当時のアテナの民主制は、実はペリクレスの巧妙な法術に過ぎなかったということになる。つまり、ペリクレスが統治をし易くするための制度が、たまたま民主制であったのであり、各人に主権を与えるという飴(賞)を与えて、そのことにより国家を強くしていたに過ぎなかったということだ。(法術の意味については韓非子を参照)

 この話は、今の民主制にも当てはまる部分があるだろう。そして、今の民主制(間接民主制)の不完全性の急所を突くような話でもあると思う。民主制が国家のために存在する限り、それは真の民主制に成り得ず、国家のための法術でしかあり得ないのだ。なぜなら、われわれは主権を与えられているというエサに食いついて、国家のために尽くしているに過ぎないのだから。また、現在の日本や、その他の多くの国でも見られる現象であるが、指導者個人の判断に政治の混乱の収束を求める限り、それは本当の民主制ではあり得ないのだ。なぜなら、すべての物事を決めているのは、われわれ自身なのであり、その指導者個人ではないはずであるのだから。

 私は、新しい政治体制を模索する上で、もはやプラトン哲人政治しかないと思っていたけど、この観点からだと、民主制を進化させることができるかもしれない。