経済のパラドックス

 現在の経済原理や経済システムが、放っておくと破綻するという理由について述べてみたい。

 まず、資本主義経済の本質とは、利潤(儲け)の追求であり、全ての効率化である。これは、ほとんどの人にとって当たり前のように認識されていることと思う。だが、敢えて、「如何に資本主義が効率を追求するものか」ということを、マルクスの見解とeconomyの語源から確認しておく。
 
 「資本は、本質的に効率を求める欲求を持つものなのである」この考えは、マルクス資本論の中核をなす考えのひとつと言っても良い。私は、資本論を読んでいて、第二分冊は、経営者のためにあるのではないかと錯覚するほどに、このことを思った。つまり、そこには、資本をいかに効率よく増殖するかということのみが書かれていると言っても過言ではないからだ。

 次に、経済を表すeconomyという単語は、もともとギリシア語の「オイコノミア」で、原語の意味としては、「健全な家計の運営」ということらしい。あと、economyという言葉には、そもそも倹約や節約、効率という含意があるらしい。

 つまり、これらのことでも再確認できるように、現代の(資本主義)経済とは、哲学的にも文学的にも、「効率」に深く由来しているのだ。逆に言うと、利潤の追求こそが資本主義の本質そのものかもしれない。だから、資本主義とは放っておくと、最新技術をもってして、物質的に時間を短縮して効率化し、労働時間を最短にする。そして、さらに最も経済的効率の高い低為替国での労働を望むのである。

 どういうことかと言うと、効率化した工業生産方式は従来の工業生産効率をどんどんと超えていくのだ。だから、昔は先進国の最先端の企業で、10の労働者を使わないとできなかった仕事量が、現在では新興国の5の労働者でできてしまう。だから、その商品の必要生産量(需要)が一定ならば、労働者の必要数は、時間とともに減って行くことになる。簡単に例えると、労働者一人に対して、今までは2個の商品しか生産できなかったのに対して、5年後には、10個の商品が生産されることが期待されるわけである。それは、需要が100で固定されていた場合、需要を満たすために25必要だった労働力が、10の労働力で十分となり、15の労働力が不必要となる。だから、資本が効率を求める限り、労働量は減少傾向に向かい、それは不必要労働者(失業者)を増やすということだ。

 次に、経済学的に正当な国際分業化理論に則って、誰でもできる単純労働は為替的に有利な後進国に流れはじめている。例えば、クルマは日本とかの先進国でしか作ることはできなかったし、これに伴った単純労働があった。しかし、この単純労働の部分は、国際分業化理論と、世界の縮小化(移動機器や情報通信機器の発達によって世界が狭くなったということ)に伴って、為替から見て賃金的に有利な新興国に大きく移行しているのだ。だから、高為替レートの先進国に残る仕事は、必然的に、単純でない労働、精神労働など、高技術や高学識が必要な労働か、現地でしかできないサービスに関する労働のみとなる。

 そして、この「資本主義経済の効率(利潤)追求」が導く結果は、資本主義経済自体の不活性化にほかならぬ。なぜならば、経済を活性化するのは、消費者であり、また、その消費者とは労働者であるからである。上に述べたように、資本主義が効率を求める限り、労働者は削減されていくのだ。それに加えて、失業者も、本来は高為替国で少ない方が良いにも関わらず、高為替国で増えていく。なぜなら、単純労働は低為替国に移動して、労働の絶対量自体が移動していくからだ。これは、経済にとって限りなく不利な状況を生む。どういうことかと言うと、本来、高為替国の労働者は、相対的に賃金が多い。その賃金が消費に向かえば、世界全体でみたときかなりの経済効果があるはずであるからだ。例えば、中国の農村部の労働者が一月分の給料を全て使うのと、日本の労働者が一月分の給料を全て使うのとでは、経済効果が10倍違う。このようにして、特に高為替国の労働者が削減されると、社会で動く貨幣の絶対量が減り、その結果、不況が導かれるのである。

 これは、今までに一度も起こったことのない不況の発生の仕方だ。だから、いま現に起こっている世界経済の停滞の真の理由「資本主義経済効率化パラドクス」には、誰も気づかない。そして、今までの資本主義の成功(資本の効率化は我々に有り余るほどの物的富をもたらした)が、皆の眼をくもらせてしまって、この資本主義の絶対的矛盾を暴けないでいる。

 もう一度言うが、資本主義は、本質的に、このような逆行した欲求を持っているのだ。「商品は安く生産して高く売りたい。だから、給料は安くして、労働者は減らしたい。だから結果として失業者は増えて賃金は減る。でも、失業者が減って賃金が増え経済が活性化しないと商品は売れない。」

 しかし、経済に詳しい諸兄は、このように指摘されるだろう。「供給面で効率化された分を上回る需要が新たに生み出される」と、しかし、それは本当だろうか?それは、ただの気休めの願望でしかないのではないか?経済が円熟した国家(先進国)に、失業率が低下する国家が今あるのか?あったら教えてほしい。もしも、需要がどんどんと生み出され、それに供給が追い付いていないなら、液晶テレビの工場が閉鎖されるだろうか?あれほど高価だったPC(10年前は最低でも20万はしたと思う)がこれほど安くなるだろうか?私が思うに、PCや自動車などは、安くしないと売れないから安くする、つまり供給過剰なものの典型的なものである。

 つまり、もう既に、資本家の利潤追求の欲望と生産技術の発達とそれに伴う効率化(供給量増加加速度)が、消費者の消費欲求と潜在消費欲求(需要量増加加速度)を追い抜いてしまっているのだ。世界で食物以外のすべての商品供給量が需要量をはるかに上回る日、そして、失業者が止めどなく増える日はもうすぐそこまで来ている。