産業革命は終わっていない

 この前読んだ近代ヨーロッパ史(これを私は絶賛しているのだけど)に、面白いことが書かれていた。まだ記していないので、忘れないうちに記しておこうと思う。

 それはどのようなものか、一言で言ってしまうと、「超長大歴史観点」だ。これには驚いた。世界史のどの本も、近代に近づくにつれて、その内容が多くなり、その内容の量は反比例的に増えている。だから、私も含めて一般的な人間だと、産業革命を人類の転機となった、結構前のある一つのことと捉える。フランス革命なんかの近代革命もひとつの、そのときあったひとつの革命として見る。

 だが、時間軸的に見るとそうではない。時間は連続しているし、時間自体の量は不変である。さらに言うなれば、これまで人類が歩んできた歴史以上の未来がまだ続くのである。そして、その全ては途切れることなく、連続しているのである。

 例えば、人類が火を手にしたのは、一朝一夕のことではない。これは推測だが、雷から燃え広がる火を見て、これを利用しようと思ったのが最初だろう。しかし、それに襲われることはあっても利用することはできなかった。だが、火が熱いということと、摩擦を起こすと熱くなるということ、固い者同士がぶつかると火花が散ること、火は燃えるものがないと燃えないということ、などに対する洞察を正確に行った「天才」が火の利用法を開発した。だが、その天才は、全てのことを一人の経験でまかなったのではない。先祖伝来伝わる火への言い伝え、そして道具という概念、これらとその「天才」の発想、この最低でも三者が交わって、初めて火の利用が行われるのである。雷で火事になることの希有さを想像してもらえば、火を発見してから火を利用するまで人類がどれだけの時間を要したのか、容易に想像がつくだろう。

 このように全ては連続し、長い時間を経て、初めて画期的な成果を出すのである。そして、このことは過去の歴史となれば、「火の発見」から「火の利用」にまで至るまでの数百年かけたひとつの革命なのだ。しかし、「火の発見」自体も、そのときの人類にとって重要な革命であった。どういうことかと言うと、「火の利用」に至るまでの数百年間は、「火の発見」自体がかなり重要な革命であったことを意味するということだ。

 つまり、産業革命も、人類が工業を利用し始める最初の「工業の発見」という革命に過ぎないと言うのだ。そして、まだこの発見から発展する革命の終結があると言うのだ。近代ヨーロッパ史の筆者は、「もしも人類がこの後、500年、600年と存続するならば、産業革命から現在に至る工業を手にする人類の工業化革命は、ちょうど人類が新石器時代に道具を手にしたのと同じような、歴史学的に重要な意義を持つだろう」とあとがきに書いている。私もそうであると思う。現在のこのような急速な発展が永続的に行われることはどう考えても不自然である。15年前には、携帯電話すらなかった。それが今では、タッチパネルで、しかも誰もが持っている。さらに10年後どうなっているかはわからないけど、50年後には、間違いなくこの発展も頭打ちしているであろう。