日の本の国、日本

 昨日、日本に関する推測をしていたら、現在日本があって、それが一応民族として独立し、世界でもそれなりに優位に立っているのは、聖徳太子に全ての発端があるのではないか?という結論に至った。

 もちろん、地理的条件もある。グーグルアースで地球儀として、また、先入観を捨てて観点的に斜めに見ると、日本という島の異質性に気がつく。まず、一つ目は意外とでかい。島としては、地球でも異例なほどにでかいのだ。次に二つ目は、縦に長い、これほどの緯度を含む島、国家は他にそうそうない。さらに三つ目、明らかにいびつな形をしている。こんな変な形をした島は他にない。

 これらの異質的条件によって、外との交易が無くてもかなり有意義な文化的交流と物的富の交換としての物流ができたことは日本の文明文化を語る上で必須と言えよう。つまり、他の国では、他国と交易することでしかできないような文明や文化の交流というのが、日本ではその島の中だけでできたのである。近代以前において、文明や文化の交流は、「緯度としての土地の交流」詳しく言うと、「気候的地学的特色を多大に受けた自然産物依存の文化や文明の交流」と言っても過言ではないのだ。これが日本が鎖国をしても文化文明的にレベルが高かった理由だ。

 これらの特色もあるけど、だがやはり、日本の水準が高いことの説明としてはいまひとつ足らない。日本が地学的に異質であることだけでは、時の政府や権力がなぜそういった選択をしてきたのか?ということに対しては的確に説明をすることができないからだ。

 この足らない部分の理由として私は聖徳太子の存在を挙げる。まず、この話の前提として、自分より賢い者の存在を知らなければならない。これから私の述べる理論は、恐らくほとんどの人にとって「な、ばかな」という話だ。だが、例えば、猫や犬が人間の考えることを想像すらできないように、人間は自分よりはるかに賢い者の考えることを想像すらできない。そのように、聖徳太子の考えていたことは、我々凡人では知ることはできないという前提を置きたい。つまり、聖徳太子が我々の想像をはるかに超える「日本国家2000年の計」というのを打ち立て、それを遂行していたのではないかということだ。日本の文化の特異性のルーツを推測していくと、聖徳太子以外にそれの依拠たる者を見ることはできないように思う。これを立証する一点目として、聖徳太子のシナへの書簡がある。「日の登るところの天子、日の没するところの天子に」というものだ。現在、日本が「日本」と呼ばれるゆえんはこの書簡に由来するものとしか思えない。国家の最高の国体たる国家の名前を決めたのは聖徳太子に他ならない。次に、天皇家だ。天皇家がこの地球上で、もっとも長く、最も崇高な形で、そして最も優れた統治体制として存続していること。これが聖徳太子以外の何者の所業と言えようか。それは私が凡人であるがゆえにわからないのだけど、何者かがそういった「仕組みを作って行く仕組み」というのを作らないと、この天皇家に関することは他の国と比べてみて説明ができない。とにかく、真の賢人の考えることは、その片鱗を見ることはできても、その全体像は想像すらできないのだ。