人類よ、新しい革袋を探せ

http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20110720/1311178876
↑を読んでから読んでいただくとさらに意味が分かります。


 近代ヨーロッパ革命のころに、ちょうど穀物の収穫率が飛躍的に向上したり、ジャガイモなどの新しい作物が栽培され始めたらしい。そうして、人間が、飢饉と言った天災から解放されたとのこと。さらに、ペストが急にパタッと無くなったのもこのころとのこと。急にペストが流行らなくなった理由は今でも分かってないらしい。

 これらの背景に後押しされる形で、人口が爆発的に増加し出したらしい。確かに、私もアメリカ大陸やオーストラリア大陸にあれほど白人が多いのはおかしいと思っていた。植民もかなりの規模でないと、あれだけの白人社会を形成することはできなかっただろうて。

 時間的に、これらの変化が起きたのは大航海時代後100年くらいのことというのも興味深い。移動手段革命による情報流入速度増加と交易の発展が、上の「天災の克服」という技術革新をもたらしたのだろう。

 こうして考えてみるに、やっぱり、「今」には革命(革新)前夜の兆候が多い。①人口が自然の摂理に反する形で減少すると言う現象。 ②IT革命により一気に情報の交流速度が速まったという現象。③先進国は飽食の時代でむしろ食物を廃棄しているという現象。④移動手段の革命(飛行機の一般化)から半世紀以上過ぎているということ ⑤その移動革命により逆に未知のウイルスが流行りやすくなったこと(サーズ・インフルエンザ・エイズなど)。

 ①③⑤が近代ヨーロッパ革命と逆の形になっていることも興味深い。むしろ、人類はこういった弊害をなくすために、人類の総意的な意志として、その社会体制を革命・革新していくのかもしれない。

 これだけ状況証拠がそろえば、私の、資本-民主主義崩壊説も少しは説得力を帯びるかな。

 今回起こるであろう革命が、近代ヨーロッパ革命と決定的に違うことがある。それは、啓蒙思想の発生の仕方だ。多分、近代ヨーロッパ革命と同じでは遅い。社会に沿うような形で新しい思想や新しい制度が選択されているようでは遅いと思うのだ。なぜなら、全ての速度が近代ヨーロッパ革命より速いからだ。このままだと、社会が変わり切っているのに、制度や思想は全くそのままという状態が続くと思う。聖書で言うならば、古い革袋に新しい酒が入った状態が長続きしてしまうと思うのだ。古い服を新しい布切れで補修していては駄目なのだ。もう社会は変わっている。でも、今現在、それに気付いている人があまりにも少ない。もうすでに全てが古い革袋であるのに、人類はまだその新しい革袋を見つけていない。

 さあ、資本-民主主義より優れた、我々を入れるべき革袋を探そうではないか。

 その革袋は、人類の真の幸せを実現するであろう。そして、我々は、その真の幸せを実現する革袋を探さなければならない。