天地人三財

続編
今度は、三材を得るための方法とそれを得た場合の宝を三財として、それを記してみる。


天を求むる者ここに在り、彼如何にして天を得んや。天を得る者は天を知る者なり。深く経典に通暁し、古き小道に入りて、賢を尊ぶ者、かくのごとき者天を得ん。彼ひと度天得れば、己の意達せられざるも事達し、事達せるも成すことなし。己、天を欲すれば天開き、天、己を欲すれば己開く。彼天なり。

地を求むる者ここに在り、彼如何にして地を得んや。地を得る者は地を慕う者なり。深く己に定まり、精進と不放逸もて、己を方正する者、かくのごとき者地を得ん。彼ひと度地得れば、難もて易と為し、その道や永し。その道や、始まることなく終わることなし。彼地なり。

人を求むる者ここに在り、彼如何にして人を得んや。人を得る者は人を敬う者なり。深く己に省み、衆をして己と同じくせしめ、慈もて之を行う者、かくのごとき者人を得ん。彼ひと度人得れば、安穏ここにありて、疑うことなし。己を達して衆達し、衆達して己達す。彼人なり。


現代語訳

天を求める人がここにいたとしよう。彼はどのようにして天を得るのだろうか。天を得る者は天を知る者である。深く経典の真意を理解して、昔の賢人が歩んだ(大多数の人が通った道と少し違う)小さな道に入って、賢いことを尊いものであると理解する人、このような人は天を得るだろう。彼が天を知り、それを得ることができたならば、自分のこうしたいという思いを越えてその事業が達成され、その事業は達成されても自分がことさら何かしたということはない。自分が天の力を借りたいと思えばそれが自分に与えられ、天が自分に何かを要求すれば自ずと天の意志に叶う。彼は天と一体となるのだ。

地を求める人がここにいたとしよう。彼はどのようにして地を得るのだろうか。地を得る者は地を慕う者である。深く自分自身を受け入れてそれに安住し、絶え間ない努力と放逸にならないことで、自分を整え正す者、このような人は地を得るだろう。彼が地を慕って、それを得ることができたならば、難しく進みがたい道をなんなく進み、そしてその歩むことのできる道は永い。その道は始まりもなく終わりもない。彼は永遠の地に入るのだ。

人を求める人がここにいたとしよう。彼はどのようにして人を得るのだろうか。人を得る者は人を敬う者である。深く自分自身のことを知り、自分以外の生き物を自分と同じ価値まで引き上げ、そして慈しみの心を忘れず事実その心に沿ったことを行う人、このような人は人を得るだろう。彼が人を敬って、それを得ることができるならば、心の安らかさと穏やかさは常にその人の内にあって、何かを疑ったりするようなことは無くなる。自分が高遠なる道に達して他の多くの生き物がその道に達し、他の多くの生き物が目的を達して自分の意志が達成される。彼は人となるのだ。



我ながら言っていることは立派だ。あくまで言っていることだけど。