易経4 蒙

山水蒙


蒙は亨る。吾より童蒙に求むるにあらず、童蒙より吾に求む。初筮には告ぐ、再三すれば汚る、汚るれば告げず。貞に居るに利ろし。


初六 蒙を発く。もって人を刑するに利ろし。もって桎梏を解き、もって往けば吝なり。
九二 蒙を包ぬ、吉なり。嫁を納る、吉なり。子にして家を克む。
六三 女を娶るに用うるなかれ、金夫を見ればその躬を保たず。利ろしきところなし。
六四 蒙に困しむ。吝なり。
六五 童蒙、吉なり。
上九 蒙を撃つ。寇をなすに利ろしからず。寇を防ぐに利ろし。


暗記結果
卦辞、「初筮には告ぐ」が抜けていた。「貞に居るに利ろし」が抜けていた。一文目と二文目が逆になっていた。爻辞、初、「もって人を刑するに利ろし」が抜けていた。二、「蒙を包ぬ」が「童蒙、吉なり」になっていた。三、「女を娶るに用うるなかれ」が抜けていた。五、六すっかり忘れていた。またしても、卦辞の貞に関する言葉が抜けていた。他は私の理解の薄さからくるものだろう。

解説
蒙とは、わからないということだ。私の尊敬する方が常々おっしゃるような「無知の知」であることを示す。わからないことという現象は大きく分けると二つに分かれる。まず、一つ目は、「分からないということに気付いていない分からないこと」と、二つ目は、「分からないということに気付いている分からないこと」である。蒙であるとき、その人は、自分が無知であることを知っているという意味だ。意味の分からない人はソクラテスについてよく勉強されると利ろしかろう。一生を捧げてこのことを知っても、それを知るだけの価値がある。自分を知者である、賢者であると思いたい方、賢者・知者となりたい方は、この「無知の知」についてまず勉強されるとよろしかろう。「無知の知」は、知の初めにして知の終わりである。九二は、蒙の中にあるが、蒙を開くことであることに今気付いた。「求めれば与えられ、探せば見つかり、門を叩けば開かれる」のだから、わからない人がいるとき、それをなんとかしてくれる人も同時にその流れの中にいるということだろう。あと、占い的な解説を述べると、この卦が出た時は、「初筮には告ぐ、再三すれば汚る、汚るれば告げず」という卦辞もあるように、「初筮でない場合」を告げている時がある。占いの内容にそぐわない場合は、これを示している時が多い。

ついでなので、比爻と正位と正応についても解説しておこう。比爻とは、陰陽が前後にあるということ。蒙の九二は、自身が陽で、その前と後ろに、初六と六三、つまり陰をもっている。だから、九二は比爻をふたつもっているということになる。正位とは、奇数(初、三、五)が陽で、偶数(二、四、六)が陰、蒙の正位の爻は、六四のみということになる。正応とは、初に対して四、二に対して五、三に対して六が、陰と陽になっているかという意味である。

これを考慮した上で、六四について考えてみる。六四は、正位であるが、比爻、応爻がないということになる。蒙はわからないという意味であるので、正位である六四は、これでもかと言うほど分からないという状態(蒙の陰の意味を大きく踏襲する)である。さらに、応爻も比爻もないので、これを助ける者は今のところいない。さらに、蒙の四であるので、蒙であることの後半の過程を示している。しかも、艮の一部なので止まることが暗示されている。故に爻辞は、「蒙に困しむ」となり、しかも進めないから、「吝なり」となるのである。