易経5 需

水天需


需は孚あり。光いに亨る。貞しければ吉なり。大川を渉るに利ろし。

初九 郊に需つ(まつ)。恒を用いるに利ろし。咎なし。
九二 砂に需つ。小しく言あるも終わりには吉なり。
九三 泥に需つ。寇の至るを致す。
六四 血に需つ。穴より出づ。
九五 酒食に需つ。貞しければ吉なり。
上六 穴に入る。速かざるの客三人来るあり。これを敬すれば終わりには吉なり。


暗記結果
卦辞、「需は光いに亨りて貞しきに利ろし」になっていた。初、二の辞が入って「恒を用いるに利ろし」が抜けていた。二、「小しく言あるも終わりには吉なり」が抜けていた。三、「寇の至るを致す」が抜けていた。五、「貞しければ吉なり」が「吉なり。貞しきに利ろし」になっていた。また、貞に関する部分を少し浅く表現してしまった。「貞なれば吉」とは、貞であって初めて吉であることを示す。貞でなかったら吉(何かを得ること)ではない。あとは、単に理解が浅かったということだろう。初の恒を用いるに利ろしが抜けていたのは、自分の慎みのなさを示している。気をつけねばならぬ。

解説
この需という文字を見ると、儒教のことをいつも思い出す。儒教は、まさに需の学問であるように思う。卦象で言うと、智慧の恩沢(外卦の水)を天(内卦の乾)の上に蓄え、自分が用いられるのを“需つ”のがまさに儒学と言えるような気がする。需を自ら進んで取りに行く人が儒学を習う人ではないか。儒学の儒が需に人べんをつけたものであることは非常に感慨深いことであると思う。高橋断易の開祖、易聖と謳われる高橋氏が日露戦争についての占筮でこの卦の上六を得たという話は有名だ。日露戦争の勝利と、三国干渉を見事当てたらしい。