知るはずのないことを知ることは

 どうだろう。みなさんは、予知能力やテレパシー(読心術)のような能力が欲しいだろうか。身につけることができるのなら身につけたいと思うだろうか。


 もし、それを身に付けたいと思っている人がいるならば、私は言いたい。「悪いことは言わないから、そのような能力を習得することはやめよ」と。あなたが善良であればあるほどにあなたはその能力によって苦しめられる。


 もしも、どうしても身につけようと思うなら、相当の覚悟をしておく必要がある。知るはずのないことを知ることは、孤独感を増すだけだ。証拠のない、事実でない、知るはずのないそのことを知る時、誰がそのことを共有してくれるのか。自分は間違っていないということを確信するとともに、それを自分しか知らないと知る時、それを口に出せないことを知る。なぜなら、それを言うことは人々から疎まれることに他ならぬのだから。


 知るはずのない彼のことを語る時、彼は憤慨とともにこちらを見る、なぜならば彼の真実は常に苦しみと弱さであるのだから。そして、知るはずのない自分の未来を知る時、あなたは打ちひしがれるだろう。なぜならば、未来は常に苦しみなのだから。その苦しみを乗り越えた時、初めて希望を持てる。現在に希望を持てないのに、もっと沢山の時間の集積を越えて希望を持てるだろうか。それを乗り越えるための精神力は尋常じゃない。その覚悟のある人は、それらの能力を身につけると良い。その人は、苦しみを克服し、成長し、より多くの人を救うであろう。