神を越える

人間には神の範疇を完全に越える可能性が秘められている。



 ただ、それができるかできないかは、それが、可能であるということを、その人が了承できるか否かにかかっている。つまり、どうゆうことかと言うと、神を越えることができる者とは、それをできると信じる強い意志と、その想像力のある者なのだ。


 神の範疇で生きていると思っている限り、その神の範疇を超越することはできない。神の範疇の際(きわ)を認識し、そこを見据えた上で、それを超越できると信じた時、神の範疇を越える可能性が生まれる。事実、その際(きわ)を超越することができるかどうかは、その人の努力にかかっているのであって、それを知ったからとてできるとは限らない。しかし、その際(きわ)を知ることが、それを成し遂げるための第一歩であることは間違いないように思う。


 私は、神の存在を信じ、それを畏怖し、また敬するが、神には頼らない。論語に言う、「鬼神は敬して遠ざく」、まず、この神との接し方をすること、そして、次に神が何者であるか知ること。そして、神の世界を理解すること。そうして神の範疇の際を知り、それを超越するこに価値を見出すことができるなら、可能性をもつことができると思う。


 私は、今、神と対等に生きていると思っている。仏教徒で、原始仏典をよく読み、理解する人には、この、神と対等に生きているという言葉の意味がわかると思う。