とある県美術館の特別展

高いチケットを手に持って、仰々しいチケット切りゾーンを抜けると、そこには「落書き」が飾られていた。

「はずれか。だから県美術館なんだ。」

あまりの期待はずれ感に、周りを見てみると、周りの人達はわりと熱心に絵を見入っていて、その行列は、流行ったラーメン屋の行列のようであったし、彼らひとりひとりを観察すると、それはあの陽気な祭りを見物する人のようでもあった。

しばらくその落書きを見ていると、これがパリのオペラ座の天井画の下書きであることが分かった。そのように見てみると確かに興味深い。そこに飾られていた落書き群は、ほとんど全部同じ絵柄だったのだ。天才シャガールが、実際にスケッチすることで、実際の配色や図の配置のバランスを見ていたことがよく分かった。確かに、進むに連れて、絵柄も少しずつ変わったり、配色の位置も少しずつ変わっている。

「これなら行列ができるのもの分かる。」

この行列は、ラーメン屋の行列とは質が異なるものなのだ。しかし、この行列の様子をもうしばらく観察してみると、この行列はやはり祭り見物の行列に違いないことが分かった。つまり、この展示の真髄は、最初から最後を見比べるところに一番の重要性があるのに、その行列を形作る彼らひとりひとりは、自分の目の前の落書きだけを凝視して、全体を見渡していていないのだ。しょっぱなから、展示者の意図を読み取れない観察者が、その後の展示物を鑑賞することができるだろうか。この行列は、予想を裏切ることなく、霧散することになる。

これとは対照的に、期待を裏切ったのが県美術館の展示だった。中に進むに連れて、完成品が少しずつ展示されていくのだ。中にはもちろん下書きらしきものあるのだが、一枚の完成された絵が少しずつ展示されている。

ただ、この完成物も、あまりにも芸術性が高すぎて、意味のワカラナイものだった。その意味のワカラナイ真骨頂たる作品が、奇才シャガールのデザインした演劇用衣装だ。洗練されすぎてボロ布としか思えないその衣装の全体的様子はともかく、なぜ「羊飼い」に角が生えているのか。海賊の腕にも人間の道具とは思えないものが装飾されている。挙句の果てには、どうして普通の男が、真緑の全身タイツに身を包むのか。

「どうしてこうなった」

それ以外の言葉では表現できず、口を固く結んで、顔を少しだけ下に向けた。しかし相変わらず、周りの人は誰もそういった反応をしてないない様子だった。

とはいえ、この観察者たちの足が疲れて腹も減り、完全に霧散した頃の最後の展示スペースには、かなりいい絵ばかりが置かれていた。そこには、旧約聖書に登場する人物の名前や、旧約聖書の場面の名前などが書かれている。中でも「ヨブ」と銘打たれた絵画は、内容を知っている人なら尚更に感慨深いものがあるだろう。

結局、このシャガール展には大満足した。