186.荀子 現代語訳 大略二十七 一〜五

大略篇第二十七

※大略はその字の通り、「大まかに略す」という意味である。この部分に関しては「荀子の弟子や後学がまとめたものであろう」ということで、学者の意見も一致している。内容としても今までの部分の抜粋や、その他実例集といったものになっている。なお、章数が多いので、一章・二章とせず、単に一、ニと章を表示することとする。


 大まかに略す。人の君主たるものは、礼を貴び最高のものとして尊べば王者となり、法を重んじて民を愛するならば覇者となり、目先の利益ばかりを好んで詐術が多ければその存続は危うくなる。


 四方に近く居たいと思うのならば、中央に居ることに勝ることはない。だから、王者が必ず天下の中心に居るのは礼である。

 天子が外についたてを立て、諸侯が内についたてを立てるのは礼である。外についたてを立てるのは外側を見ないためであり、内についたてを立てるのは内を見られないためである。

 諸侯が臣下を招集したとき、臣下が馬が整うのを待たず、衣装もひっかぶったままで走り参じようとするのは礼である。詩経 西風・東方未明編には「転び倒る 公の招集 あればなり」とある。
 天子が諸侯を招集するとき、諸侯が馬車を馬の所まで引っ張っていき、そうして馬とつなぐのは礼である。詩経 小雅出車篇には「我が車 牧場まで出す 天子より 我に来たれと 言い給えばなり」とある。

 天子の冠は山ベン、諸侯は玄冠、大夫は卑ベン、士が革弁であるのは礼である。
 天子はテイを用いて 諸侯が茶を用いて 大夫が笏を用いるのは礼である。
 天子は彫り弓、諸侯はトウ弓、大夫が黒弓であるのは礼である。


 諸侯同志で会談をするときは、大臣(卿)を介添え役として、教えを受けた士を尽く引き連れて同行させ、仁者に留守を任すのが礼である。


 人を招聘するときは珪を、士に事を問うときは璧を、人を召すときにはエン(援の王偏)を、絶交するときはケツ(決の王篇)を、一度絶った縁を回復すには環を、それぞれ贈り物として用いる。


 人の主たるものは、仁心を設けなければならない。知はその下僕でしかなく、礼はその仁心が尽くされて表に出たものである。だから王者は、仁を先にして礼を後にする。天の施しがそうさせるのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■実例集ということもあって、固有名詞が多く、その漢字が現在は使われていないし、その上、その固有名詞が指す実物もほとんど存在していないから、その部分で手間取った。私は考古学者ではないから、なんとなく雰囲気が分かればそれでいいという程度で訳したつもりである。厳密に知りたい人は各自で調べられたい。しかし、厳密に考古学するよりも重要なことは、具体的な礼についての事例を知ることで、礼がどのように考えだされていたかを知ろうとすることである。