史記を読んでいて1

最近、徳間書店の「史記」を図書館で借りてきて読んでいる。三冊も抄訳を読んだ後なので、満を持してという感じである。これに加えて、そもそも私は、漢籍に親しんでいるから、出てくる人物とかも大体知っているわけである。

それで、この「史記」は、本文構成が、現代語訳が先ず書いてあって、次に句読点付きの白文の下に、書き下し文という構成になっている。今は、堯舜禹の辺りなので、ほとんど知っていることで読みやすいのだが、白文を読んでいると、「礼」が旧字体である「示豊」になっていることに気が付いた。

礼だとイメージが湧かないが、「示豊」だと荀子の言っている礼もイメージが湧いてくる。

この辺は、ほとんど神話に近いものであろうけど、これらの神話が作られていった所以などを考えると多くの示唆的なことがあって興味深い。

堯帝の始祖の黄帝が、シユウ氏という最後まで逆らう民族を討伐するような話があり、また、これは帝が変わるたびにほとんど挿入される話であって、討伐の正当性を裏打ちするするための話とも言える。ここで、獣をも自分の兵とする辺りにもいろいろな示唆を感じる。

司馬遷曰く、私が各地を旅してみて、長老が黄帝・堯舜などについて盛んに語るような地区は、他の場所に比べて優れて卓越した風俗のあるところが多かったとのことである。尚お、この辺りまでの記述は、「宰予問五帝徳」「帝繋姓」「書経」「春秋」「国語」などの書物を比較検討して、表現も雅なものを取って記しているらしい。