81.荀子 現代語訳 富国第十 三章-後

 だから言うのだ。君子が徳を用いるのならば、小人は力を用いると。しかし、力というものは、徳に使役されるものにすぎないのだ。

 百姓の力はこれがあってこそ功績があがるものであり、百姓の群れもこれがあってそうして和することができ、百姓の財物もこれがあって集まることができ、百姓の普段の心もこれがあって安心し、百姓の寿命もこれがあって長くなる。親子といえどもこれを得ることができないなら親しむことはできず、兄弟もこれを得ることができないなら善で同じることができず、男女もこれを得ることができないなら喜ぶことはできず、子供たちはこれがあることで成長することができ、高齢者もこれがあることで養われる。だから、天地がこれを生じて聖人がこれを成就するとはこのことを言っているのである。

 しかし、今の世はこのようではない。財産税を多くして財産を奪い、田畑の税を重くして食べ物を奪い、関所や市場の税を重くして通商や小売りを難しくし、これだけではなくてさらにこの上で、隙を見ては民衆を愚弄して欺き、権謀術数を張り巡らしてものごとを傾き覆しては、結局全てのことを台無しにしている。

 百姓ですら、このように汚れて驕った暴乱の有様では、大きな危機や滅亡が来ることを、明らかに知るのである。こういったことであるから、家臣は自分の君主を殺し、下の者が目上の者を殺し、城を敵方に打って、命令に逆らい、自分の君主のために死なないことには、他の理由などない。つまり、その君主が自分自らによって自分のものを取りあげているのである。詩経 大雅・抑編に、「口に出せば復讐を 徳があれば良い報いを それぞれ受けないことはない」とはこのことを言ったのである。


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■敢えて「これ」を「これ」としたままで訳しておいた。