アレテオン5 〜小道の道のり1〜

前の続き

ソクラテス「これから、この古き小道における徳の宮殿への道のりを語るに当たって、今までの語り方を少し変えなければならない。なぜなら、これから語られるこの道のりについての話は、決して美しいものではないからだ。今までは美しい詩句によってそれらの概要を示し、この詩句を吟味することによって、より明らかにこの古き小道のことやアレテオンのことを語ったのであるけれど、これからは、この古き小道について最初から詳しく語りたいと思う。それにムーサ達も、しばらくは引っ込んでいたいと、ぼくに語りかけてくるのだ」

ケイゴーサ「今、あなたに取りついている詩と歌の精霊たちが、そのように言っているのなら、致し方ないことでしょう。では、ソクラテス、早速、その古き小道について詳しく語ってはいただけませんか」

ソクラテス「では、語ってみよう。しかし、これからぼくの口から語られることは、決してぼくが今考えたことではなくて、ぼくが以前に誰かから聞いた話であること、この話を誰から聞いたのかは不覚にも忘れてしまったこと、また、その詩と歌の精霊たちの援護がないからには、あまり美しい言辞というものを期待できないこと、ときどき君たちに同意を求めること、これらのことを了承しておいてもらいたいのだ」

ケイゴーサ「もちろんいいですとも、異議のある者があるでしょうか。わたしたちもあなたと同じで、とにかく人の話を聞きたいばかりに、年がら年中うずうずしているのです。それらのことは快く了承しますので、その話をわれわれに語ってください」

ソクラテス「ぼくの聞いた話によると、こんなふうだったと思う。この小道は、とても狭くて、人一人がやっと通れるくらいの道幅しかなく、この小道の脇へ少しでもそれると、“遊冶懶惰の穴”(ゆうやらんだ)に落ち込むこととなる。

そして、この“遊冶懶惰の穴”の恐ろしいところは、ときどき、この小道の真ん中にさえあることなのだ。この穴は、ちょうど獲物を取る時に使うような落とし穴のように、この道に同化しているときもあるし、また、景色としては不釣り合いに堂々と道の真ん中で大口を開けている時もある。ぼくたちは、この古き小道を進んで行くに当たって、まず始めに、この“遊冶懶惰の穴”に落ち込むことに気を付けなければならない。

もしも、ぼくたちがこの“遊冶懶惰の穴”に落ち込んでしまえば、また始めから、つまり、アレテオンを臨むに当たって、小道を見つけてこの小道に入るところからやり直さなければならなくなる。

この穴に落ち込むとき、唯一の救いは、ごくまれにだけど、手をその穴の縁に引っかけることができることなのだ。もっと運のいい人は、衣服やその他の体の部位が穴に完全に落ち込まないうちにひっかかることもある。このように、運よく落ち込まないこともあるのだけど、ある意味では、穴に完全に落ち込まなかったときの方が、その人は苦しみを味わうこととなる。なぜなら、この穴は上から下に向かって風が吹いていて、あたかも掃除機がゴミを吸い寄せるように、この穴に近付く者を吸い寄せていくのだ。だから、この下に向かう風の力と自分の体重に逆らって、体中の力を振り絞り、泳げない人が水中でもがき苦しむようにして、そうしてやっとこの穴に完全に落ち込まないでいられるのだ。このようにして、その風の力と重力に逆らうだけの体力がある者だけが、この穴に完全に落ち込むことなく、なんとか小道の上へ這い出て、ここまで進んできた道のりを無駄にしないことができる。

こういったわけであるから、ぼくたちは、この古き小道を進むに当たり、一番始めのときから、この穴について細心の注意を払わなければならない。しかし、細心の注意を払う余りに、その足の歩みを止めてしまったり、足の動きを緩めてしまってはならない。そんなことをしたら、この穴がすぐに自分の下に現れて、その歩みを止めたり緩めたりした自分を、この大口の中に飲みこんでしまうだろう。

そして、この“遊冶懶惰の穴”は、ぼくたちがアレテオンに辿りつくそのときまで、ぼくたちの前から消えることはなく、最後の最後までぼくだちを苦しめ続けるのだ。」

ここまでソクラテスが話を終えた時、この話を聞いていた皆は、感心してしまうと同時に、まるで命に関わる重大な病気を医者から宣告されてしまったかのようになって、このほがらかな春日和とは対照的に、顔を下にうつむけてしまった。ソクラテスは皆のその様子を見て、目を細めて口を閉ざし、遠くを見ているようだった。こうして、しばらく沈黙が続くと、ケイゴーサがはっとした様子で言った。

「かくも偉大なるソクラテスよ、あなたの語られた、かの“遊冶懶惰の穴”はなんと恐ろしいものでしょう。しかし、われわれは、この恐ろしい敵を目の前にして、怖気づいている場合ではないのです。むかし、ギリシア人が、その自由と尊厳を保つために、ペルシアの大軍勢を目の前にして、怖気づくどころか勇気を奮い立たせ、劣勢でありながらその大軍勢を打ち破ったように、われわれもこの“遊冶懶惰の穴”を攻略しなければなりません。

ところで、私の知る孫子という書物には『敵を知り己を知れば百戦して殆(あやう)からず』とあります。『汝自信を知れ』とは、あなたが常々口に出していらっしゃることであるからには、こちらのことは語られたこととして、現在のわれわれの敵、つまり、アレテオンへの進路を阻んでいるこの“遊冶懶惰の穴”について詳しく知らねばならぬでしょう。

まず、この穴はどうして“遊冶懶惰”と呼ばれるのでしょうか」

すごい長くなりそうな予感がしてきた…