41.荀子 現代語訳 非十二子第六 一章-前

一章

 今の世には、邪説を飾り姦言を美しくして天下を撹乱し、盛隆繁茂荒涼虚空、天下をでたらめに乱して、是非と治乱が本来あるべきところをわからないようにしてしまっている者がある。(●仮今の世に、邪説を飾り姦言を文りて以て天下を擾乱し、キツ宇嵬瑣、天下をして混然として是非治乱の存する所を知らざらしむる者に人有り。)

 感情の赴くままに、行き当たりばったりな思いつきで満足して、禽獣と何ら変わらない行動をし、美しさとはかけ離れて治まることなど一切ない。このような有様であるのに、自説にはそれなりの根拠があって、自説を言葉にすれば理屈に沿っていて、民衆の愚かな部分を欺いて惑わすには十分である。これが它ゴウと魏牟である。(元私の生活が第一党のO沢一郎先生みたいな人と思われる)

 下らぬやせ我慢をして孤立遠泳し、人と違うことだけをただ目標として、大衆のご機嫌伺いはするが天下の大分を明らかにすることはできない。このような有様であるのに、自説にはそれなりの根拠があって、自説を言葉にすれば理屈に沿っていて、民衆の愚かな部分を欺いて惑わすには十分である。これが陳仲と史鰌である。(仙人みたいなことをしていた人と思われる。近くで言うならOウム真理教のA原彰晃か)

 天下を統一して国家を建てることの実際の制度や計算については考えもせず、卑近な効果と倹約ばかりを大事にして身分や年齢の差による秩序をないがしろにし、他の意見を容れることができずに君臣上下の道を分けることさえできない。このような有様であるのに、自説にはそれなりの根拠があって、自説を言葉にすれば理屈に沿っていて、民衆の愚かな部分を欺いて惑わすには十分である。これが墨翟と宋ケイである。(当時の墨家のことだろう。理想家ということで倹約を除けば元首相のH山由紀夫先生か)

 法を大事にしながら法に大本のきまりがなく、人格の形成を軽んじているのに書を作ることを好み、支配者には自分の話を聞いてもらおうとするばかりで、民衆には従うことだけを要求し、一日中議論を重ねて法律を作るのであるが、細かいところまで検証して見ればつじつまの合わないことがあり、国を運営して大本を定めることには程遠い。このような有様であるのに、自説にはそれなりの根拠があって、自説を言葉にすれば理屈に沿っていて、民衆の愚かな部分を欺いて惑わすには十分である。これが慎到と田駢である。(当時の法家のことであろう。現在に例えると、残念ながら、学者全般ということになってしまうだろう。現在、教授として教鞭を取ったりして、いろいろなところで論説し、国政に口をはさんでいる人で、この項目に全て当てはまる人は多くいるだろう。もちろんそうでない立派な方も多くいらっしゃるとは思う、だが、圧倒的にこれに当てはまる人の方が多いと思う)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■本文中に書いておいた。多少毒舌ではあるが、今も昔も、邪説と姦言の本質は何ら変わっていないということだろう。上から順に、どんどん良くなってきている。荀子の価値観も垣間見られる。あと、少し伏せ字をして実名らしきものをあげておいたが、あくまでも個人的な意見なので、政治信条などで私の見解が違うと思う方は、自由に違う人の名前を思い浮かべていただきたいと思う。